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ニッパーダイを読みながら24

フランス革命以降の25年間に、当初は熱狂的にドイツで歓迎された、 人類の解放に向かっての革命は、宗教に反対したのだが、 結局は、理性の名において、ジャコバン派の恐怖支配、軍事独裁と、 ナポレオンの世界征服へ、際限のない戦争へとつながっていった。 すなわち、宗教を超えた自由と理性の名の下での約束は、崩壊したのである。 宗教が再び、当時の人々の基本的な感情の一部分となる。 宗教とは、ひたすら依存する感情のことだと定義する時、 それは完全にロマン主義的である。 啓蒙主義は個人を中心に置き、カトリックは大衆の敬虔さを前面に押し出す。 反ローマ的、反教皇的で、啓蒙主義的で、プロテスタント的な団体も結成された。 自由主義者や急進主義者は、この反ローマ運動に大きな期待をかけていた。 この運動は、反動の牙城である、ローマ教皇を弱体化させた。 宗教と国民を、一つの国民教会の下で和解させ、 宗教と民主主義を和解させるだろうと期待されたのである。 1848年に、教皇は時代の誤った考えを非難し、「誤謬表」としてまとめて示した。 宗教・意見・学問の自由、民事婚、国家教会制、国家の学校、 自由主義とフリーメーソン、人民主権と民主主義、 普通選挙権と国民の至上性、社会主義と資本主義などがそれである。 教皇が近代性と和解するすることはあり得ないとされた。 明確に非キリスト教的な立場に立つ社会民主主義が、 主としてプロテスタントとして生まれた労働者たちによって、 組織されたことは、特徴的なことである。 国家とローマ教会は、邦の領域とそれを超えている司教区の区分をめぐって対立した。 カトリックは、教皇至上主義(イエズス会的)と、反教皇至上主義に分かれた。 オーストリアは、中央集権的であり、自由主義と対抗し、 諸地方や諸民族の「連邦主義」やナショナリズムに対抗するために、 教皇至上主義派の教会を利用しようとする。 非ドイツ系の諸地域のカトリック聖職者やカトリック貴族は、 中央集権に反対し、それぞれの民族の特殊利害を支持していた。 小ドイツ主義的(プロイセン中心)な傾向を持つ、 自由主義的ナショナリストたちは、反カトリックだった。