ニッパーダイを読みながら26

義務と感情の葛藤という、生の本来の対立を解決するのは、
大衆の場合は宗教なのかもしれない。
しかし本当は芸術なのであり、そして芸術は道徳的なものをもはや、
敬虔な心によってではなく、美的なものとして把握する。

国民的な民主主義も社会的な民主主義も、政治的信仰に属しており、
文化宗教とならんで、政治宗教が登場するのである。

古典主義は異教的であったが、
それに対してロマン主義はキリスト教への転換をもたらした。
詩的なものが宗教的となり、宗教的なものが詩的になるのである。
芸術、感情が、宗教的な愛となるのである。

キリスト教に対して、フォイエルバッハの出発点は、
物質的なもの、感覚的なもの、非精神的なものである。

マルクスにとって「私人」の運命と幸福を気遣うのは、利己主義に他ならない。
マルクスにとって、不平等な才能と、不平等な運命のような問題は、消滅させられる。
教会はプロレタリアの生活状況に無関心な態度を取っていた。

ダーウィンは、キリスト教と一般的な意識との関係を、革命的に変化させた。
彼は、創造の物語、創造主、不死といった概念を不要なものとした。
世界における、人間の特別な地位というキリスト教の教説は、脇に押しのけられた。

市民にとって、生の意味と道徳性は、家族と労働のふたつが内容となった。
労働は人類の進歩に奉仕するものであり、
個人の努力や個人が生計を得る以上のものとされる。