ニッパーダイを読みながら32
芸術が市民層の物になって以来、音楽会は制度となって、
一回限りとか、何かの機会とか、演劇が休演中の時とかいうだけではなくて、
定期的に、「予約」や「会員購入」を土台として、開催されるようになる。
卓越した技術を持つ名手の音楽会が重要性を増していく。
偉大なソリストが、音楽生活の新たな現象となるのである。
パガニーニやリストは、何人かの俳優と並んで第一級のスターであり、
一般の人たちの崇拝の的になる。
音楽への熱狂、天才崇拝、そして精神状態の不安定さが高まったのを、
埋め合わせるように、これらの独特の形が、そのような賛美を結び付けている。
鉄道の時代に入ったことが、この現象を一般に広めることになった。
この種の音楽会の開催者であるエージェントが、一定の役割を演じ始める。
さらには音楽が、金儲けや市場と結合するような現象も生じ、
例えばワーグナーはそれを激しく非難する。
イタリアやフランスのオペラは、古代的=神話的なテーマを扱ったが、
市民は、歴史的で市民的なテーマ、ロマン主義的=国民的なテーマを好むようになった。
「魔笛」「フィデリオ」「魔弾の射手」以来のドイツ・オペラの勝利の行進が始まるのである。
合唱協会は、その歌う精神を通して、政治的な色彩を帯び、
自由主義的で国民的な運動の一部分となった。
1848年以来のメッテルニヒのオーストリアでは弾圧されるのである。
労働者運動は、この政治的=音楽的な文化を受け入れた。
ドイツの人々は、「感情」や「内面」が音楽の中で表現されるのを、
好んで見出したがるようになっていった。
ワーグナーの作品が近代的な文化の中で、中心的な位置を占めるようになっていった。
ドイツが、ベートーヴェンからブラームスとワーグナーを通しての、世紀の大いなる音楽史において、
指導的な国となったことは、確かなことである。
「市民化」の他の類似した形態を、私たちは造形美術に見ることができる。
地方自治体は、宮廷や城などの公共の空間をフレスコ画で飾り、
芸術を、公共のために、市民たちの教育と自己表現のために利用しようとした。
芸術作品は公開されて、近づける物となる。
君主の画廊は、立ち入り可能な公共の場、やがて一般に公開される場となり、
そして最終的には国家の美術館となる。
美術作品は、今や一般の国民の所有物と見なされるようになり、
美術館は、国民の精神的教養に奉仕するものと位置づけられる。
博物館、美術館と並んで、別個の公的な美術施設として作られたのが、
アカデミー、すなわち国費の棒給が支払われる教師たちをようする国立の美術大学である。
これらの学校は、養成教育にとって、重要であるだけでなく、
定期的な展覧会やコンサートや賞の授与を通して、現在の美術を公衆に示す場ともなる。
アカデミーの公的な性格に対峙したのは、
国家との結びつきを持たない自由な美術協会である。
このような協会は、芸術家と市民(芸術愛好家)を結び付けることを目指し、
芸術家に、宮廷やアカデミーの外で、社会の中での新たな地位を与えた。
音楽と同様に、美術も家庭の中で市民的な教養の規範となり、
この分野でも、写真時代以前に、スケッチして水彩を施すアマチュアたちを忘れることはできない。
1827年にベートーヴェンがウィーンで亡くなった時、
学校が休みになったばかりでなく、二万人か三万人が彼の棺に従った。
市民にとって、芸術は疑似宗教的な機能を持つことになる。
この世紀には、芸術宗教が出現したのだということもできる。
主観的な芸術への敬虔さに対応するのが、
芸術を、現世を超越する存在として理解する姿勢であった。
芸術は、無限で神的で絶対的で深遠なるものの表現なのであって、
自我と宇宙の秘密を表している。
人間は、芸術によって、自らを完成させ、永遠の領域に達する。
プロメテウス、革命家、魔術師、聖人、殉教者、
そして苦悩とその克服という英雄的な福音の告知者としてのベートーヴェンは、
その最も特徴的な例に他ならない。
芸術は、労働と報酬、経済と技術、金銭と権力、業績と成功の、
ますます「唯物的」になっていく生活世界のなかで、新たな対抗世界となる。
宗教だけでは、もはや、そのような「唯物的」な世界を囲い込み、
抑制し、あるいはこの世界に対抗し、生の意味を告げる力はない。
自然主義と反自然主義的な「芸術のための芸術」は対立する。
芸術は、直接、何かの役に立つという物ではなくて、芸術それ自体が目的である。
いかなる外部の力も芸術に目標を設定したり、指示を与えたりすることはできないのであって、
芸術は自らが求めるものを自ら定める。
芸術の再生技術が発展し、大量の消費者と、大規模な市場が成立していった。
パリ・オペレッタとウィーン・ワルツは「軽音楽」である。
「芸術家」は「俗物」と対立する。
芸術家は、孤独な存在、アウトサイダーとなり、
無理解で散文的で狭量な社会と対峙するようになる。
見誤られて理解されず、誤解されている芸術家、
それどころか天才である芸術家という、この世紀の神話が生まれるのも、そのためである。
芸術の規範となるのは、独創性である。
芸術は伝統的な規範を向こうに回して、伝統と慣習から自由になり、自らを解放する。
文学と絵画では、共通の表現形式とシンボルの備蓄、
神話と代表的な役割の確固とした秩序が、崩壊していく。
それは、世界と美術の双方が、個人化、合理化、世俗化、市民化していった、
一つの帰結に他ならなかった。
ヴィーナスは裸の乙女となり、国王陛下は王冠を戴いた一人の男となる。
「好み」はもはや社会的に統一された物ではなくて、個人的で多様なものとなる。
ロマン派の「粉砕しようとする、無限で、我を忘れるような憧れと不安(ゲーテ)」、
ほの暗く、秘密に満ちたもの、分裂したもの、際限のないもの、極端なもの、
夢想的なもの、流動的で移り変わるものが、
古典派の確固として、明確で限定されて明るいものに対抗して、支配的となる。
幻想と感情の自由が、形式の規律を打ち破る。
一回限りとか、何かの機会とか、演劇が休演中の時とかいうだけではなくて、
定期的に、「予約」や「会員購入」を土台として、開催されるようになる。
卓越した技術を持つ名手の音楽会が重要性を増していく。
偉大なソリストが、音楽生活の新たな現象となるのである。
パガニーニやリストは、何人かの俳優と並んで第一級のスターであり、
一般の人たちの崇拝の的になる。
音楽への熱狂、天才崇拝、そして精神状態の不安定さが高まったのを、
埋め合わせるように、これらの独特の形が、そのような賛美を結び付けている。
鉄道の時代に入ったことが、この現象を一般に広めることになった。
この種の音楽会の開催者であるエージェントが、一定の役割を演じ始める。
さらには音楽が、金儲けや市場と結合するような現象も生じ、
例えばワーグナーはそれを激しく非難する。
イタリアやフランスのオペラは、古代的=神話的なテーマを扱ったが、
市民は、歴史的で市民的なテーマ、ロマン主義的=国民的なテーマを好むようになった。
「魔笛」「フィデリオ」「魔弾の射手」以来のドイツ・オペラの勝利の行進が始まるのである。
合唱協会は、その歌う精神を通して、政治的な色彩を帯び、
自由主義的で国民的な運動の一部分となった。
1848年以来のメッテルニヒのオーストリアでは弾圧されるのである。
労働者運動は、この政治的=音楽的な文化を受け入れた。
ドイツの人々は、「感情」や「内面」が音楽の中で表現されるのを、
好んで見出したがるようになっていった。
ワーグナーの作品が近代的な文化の中で、中心的な位置を占めるようになっていった。
ドイツが、ベートーヴェンからブラームスとワーグナーを通しての、世紀の大いなる音楽史において、
指導的な国となったことは、確かなことである。
「市民化」の他の類似した形態を、私たちは造形美術に見ることができる。
地方自治体は、宮廷や城などの公共の空間をフレスコ画で飾り、
芸術を、公共のために、市民たちの教育と自己表現のために利用しようとした。
芸術作品は公開されて、近づける物となる。
君主の画廊は、立ち入り可能な公共の場、やがて一般に公開される場となり、
そして最終的には国家の美術館となる。
美術作品は、今や一般の国民の所有物と見なされるようになり、
美術館は、国民の精神的教養に奉仕するものと位置づけられる。
博物館、美術館と並んで、別個の公的な美術施設として作られたのが、
アカデミー、すなわち国費の棒給が支払われる教師たちをようする国立の美術大学である。
これらの学校は、養成教育にとって、重要であるだけでなく、
定期的な展覧会やコンサートや賞の授与を通して、現在の美術を公衆に示す場ともなる。
アカデミーの公的な性格に対峙したのは、
国家との結びつきを持たない自由な美術協会である。
このような協会は、芸術家と市民(芸術愛好家)を結び付けることを目指し、
芸術家に、宮廷やアカデミーの外で、社会の中での新たな地位を与えた。
音楽と同様に、美術も家庭の中で市民的な教養の規範となり、
この分野でも、写真時代以前に、スケッチして水彩を施すアマチュアたちを忘れることはできない。
1827年にベートーヴェンがウィーンで亡くなった時、
学校が休みになったばかりでなく、二万人か三万人が彼の棺に従った。
市民にとって、芸術は疑似宗教的な機能を持つことになる。
この世紀には、芸術宗教が出現したのだということもできる。
主観的な芸術への敬虔さに対応するのが、
芸術を、現世を超越する存在として理解する姿勢であった。
芸術は、無限で神的で絶対的で深遠なるものの表現なのであって、
自我と宇宙の秘密を表している。
人間は、芸術によって、自らを完成させ、永遠の領域に達する。
プロメテウス、革命家、魔術師、聖人、殉教者、
そして苦悩とその克服という英雄的な福音の告知者としてのベートーヴェンは、
その最も特徴的な例に他ならない。
芸術は、労働と報酬、経済と技術、金銭と権力、業績と成功の、
ますます「唯物的」になっていく生活世界のなかで、新たな対抗世界となる。
宗教だけでは、もはや、そのような「唯物的」な世界を囲い込み、
抑制し、あるいはこの世界に対抗し、生の意味を告げる力はない。
自然主義と反自然主義的な「芸術のための芸術」は対立する。
芸術は、直接、何かの役に立つという物ではなくて、芸術それ自体が目的である。
いかなる外部の力も芸術に目標を設定したり、指示を与えたりすることはできないのであって、
芸術は自らが求めるものを自ら定める。
芸術の再生技術が発展し、大量の消費者と、大規模な市場が成立していった。
パリ・オペレッタとウィーン・ワルツは「軽音楽」である。
「芸術家」は「俗物」と対立する。
芸術家は、孤独な存在、アウトサイダーとなり、
無理解で散文的で狭量な社会と対峙するようになる。
見誤られて理解されず、誤解されている芸術家、
それどころか天才である芸術家という、この世紀の神話が生まれるのも、そのためである。
芸術の規範となるのは、独創性である。
芸術は伝統的な規範を向こうに回して、伝統と慣習から自由になり、自らを解放する。
文学と絵画では、共通の表現形式とシンボルの備蓄、
神話と代表的な役割の確固とした秩序が、崩壊していく。
それは、世界と美術の双方が、個人化、合理化、世俗化、市民化していった、
一つの帰結に他ならなかった。
ヴィーナスは裸の乙女となり、国王陛下は王冠を戴いた一人の男となる。
「好み」はもはや社会的に統一された物ではなくて、個人的で多様なものとなる。
ロマン派の「粉砕しようとする、無限で、我を忘れるような憧れと不安(ゲーテ)」、
ほの暗く、秘密に満ちたもの、分裂したもの、際限のないもの、極端なもの、
夢想的なもの、流動的で移り変わるものが、
古典派の確固として、明確で限定されて明るいものに対抗して、支配的となる。
幻想と感情の自由が、形式の規律を打ち破る。