ニッパーダイを読みながら28

ギムナジウムが教養のある少数派と都市中間層の一部のための学校だったとすれば、
大多数の人たちのための学校が民衆学校だった。

子供たちの労働力を、経済の自由から見る考え方に対して、
就学義務の遵守は強制されていった。

民衆学校は教会と結びついており、
教師の職はしばしば下級の教会職との兼任だった。
中心的な授業科目は宗教だった。
一方で新人文主義の影響も受けており、理性が指向されていた。
重要な点は、新しい教師たちは学校で学び、
国家の試験を受けた教師たちが、学校にやってきたことだった。
保守派は近代的な学校を批判し、平等と革命を恐れた。
保守派は、師範学校を批判し、学問ではなく、
職人的で敬虔な水準に再び戻るべきだと主張した。
逆に、自由主義者たちは、知的な教育を信じた。
しかし自由主義者は、教育が、共産主義に対する免疫力を与えることを望んだ。

プロテスタントの中では、正統派よりも、啓蒙主義やリベラル派のほうが、
教育に肯定的だった。

社会民主主義の台頭に対しては、ドイツの民衆学校も、
生徒たちに免疫を与えることはできなかった。