ニッパーダイを読みながら57
文化闘争は、特殊ドイツ的な現象ではなくて、 1870年から1914年までのヨーロッパに共通してみられる現象である。 一方で、憲法国家は個人の自由を保障して、 国家からの自由に向かう解放に道を開き、それゆえ教会の自律にも繋がっていった。 また、近代的な社会は、権威や伝統の優位に対抗して、 個人の自由という原則を基盤としていたが、カトリック教会は権威と伝統を重視していた。 国家は教会を財政的に支え、神学部は国家の大学の一部分だった。 国家は司教の活動に対する監督権を要求した。 ベルギーでは、ドイツと違って、カトリックと自由主義の同盟が形成された。 ドイツでは、カトリック教徒と、保守的な正統派のプロテスタントと、 自由主義的なプロテスタントが対立し合っていた。 自由主義派は、プロテスタント的で、啓蒙主義的・理想主義的な伝統に基づいて、 反カトリックの立場に立っていた。 自由主義派は、とりわけ教皇至上主義的なカトリックを、不倶戴天の敵と見なした。 教皇は「誤謬表」で、近代的な要素を否定した。 学校と市民の婚姻と戸籍は、カトリックから国家に取り上げられようとした。 イエズス会は、国家による監視の対象とされた。 カトリックは反自由主義的であり、文化、教養、学問、進歩、世俗性への信仰を攻撃した。 教皇不可謬というドグマに抵抗する、古カトリック派も存在した。