ニッパーダイを読みながら27
「古い」世界では、教育は主として家庭と身分が行うものだった。 そこでは、個人は抽象ではなく、感覚を用いる実例に即して教え込まれた。 「新しい」人間は、省察と抽象に基づいて行動しようとする。 そのためには知識が必要である。すなわち学校が必要とされるのである。 自律性を発揮し、自ら考えようとする姿勢を身に付け、 伝統や権威や所与のものを批判し、理性的に判断する知性を備えるように教育するのは、 保守主義者たちからは危険で非現実的と見なされた。 そして教育は制限されるべきだと主張された。 保守主義者たちは、近代的な学校が革命をもたらすのではないかと不安だったのである。 政治が学校に作用を及ぼしたのであった。 ギムナジウム(ヨーロッパの中等教育機関)は、 宗派的・身分的な違いや、部分的特殊性に対立した。 一般的で普遍主義的な思考慣習を設定したのである。 ギムナジウムは国家全体にわたる市民層を教育し、「国民」を形作った。 ギムナジウムは近代的である。 ギムナジウムは新人文主義の学校であり、 古典語、古典の教材、形式的教育が優位を占めていた。 特にラテン語に集中する場合もあった。 ギムナジウムは、古典時代を指針とし、理想的なギリシャ人と同一視し、 文学的=哲学的な傾向が強かった。 ギリシャ人を理想視するのは、共和主義と異教に通じると、保守主義者から疑われていた。 そのため宗教の授業が重視され、共和主義的な傾向を抑制する流れもあった。 教養と専門知識は異なる。 ギムナジウムは哲学から、歴史的で実証的な個別的学問へと発展を遂げていった。 「人間を形成する」のではなく、文法の専門家を養成するようになったのである。 人文普遍主義と共和主義は色褪せていったのである。 古代は、現代から目をそらせる媒体へと変化することも可能だった。 そして、ギムナジウムの根底にあった、業績エリートという、 反身分的=反貴族的な理念は、貴族と保守主義者たちがギムナジウムを受け入れて以来、 革命的な性格を失ってしまった。 ギムナジウムは、学識者を養成する学校としては、すぐれた学校であり、 ドイツの学問は、この学校を土台として並外れた発展を遂げた。 ギムナジウムは、1848年の自由主義的な市民たちと、 1860年代の自由主義的ナショナリストたちを育てた学校であり、 新しいエリートたちの学校だった。