ニッパーダイを読みながら43
反動期の大多数の政府は、カトリックと協力していた。 自由主義的な協同組合は、労働組合と違って、ストライキ組織ではなかった。 教養、それは自由主義者たちにとっては、資本と労働の間の基本的な調和、 共産主義の誤りを認識することを意味していた。 自由主義的な構想は、市民となることを望んでいる有能な労働者を標的としていた。 自由主義的な協会で活動していたのは、 手工業的な専門知識を持ち、賃金の良い労働者たちであった。 しかし労働者は、政治から締めだされていた。 例えばドイツ国民協会は、年会費の引き上げを通して、事実上、労働者を排除し、 1862年には、労働者も会員となれるように、会費の額を変更するべきだという、 「左派」の政治家たちの提案は拒否された。 民主主義者たちは、彼らが目指した大衆運動の一部分として、 労働者を動員しようと考えた。 しかし、民主主義者たちにしても、 労働者を共通の民衆運動に統合することを望んでいたのであって、 労働者が別個の組織を結成するのは、 共通の政治的な目標を損なうに違いないと考えて、そのような組織の結成を妨げようとした。 自由主義的=民主主義的な労働者政策は、調和を求める性格を持っていて、 労働者と企業家の間の利害関係を故意に軽視している。 賃金額の問題を基本的に無視していたのである。 マルクスの場合には、民主的な国民国家という目標は、 機能的に世界史の一段階として想定されていいた。 1868年には、労働組合が台頭した。 ストライキが頻発し、団結権の問題も採り上げられるようになる。 国民国家と民衆国家は異なり、 民主主義的な目標と、国民的な目標は異なる。 国王の考えによれば、兵士は市民生活から離れて、全身全霊を捧げる兵士となり、 規律と絶対的な服従と軍人精神を叩き込まれる必要があるのであった。 3年間の兵役期間に、反革命的な精神を叩き込むのである。 将校団は伝統的に、貴族によって占められていた。 しかし憲政国家のなかで軍隊は、予算を確保するために、 議会に頼らねばならず、市民的な議員と選挙民の支持に頼らねばならなかった。