自由主義は、プロテスタントであり、文化闘争(反カトリック運動)の立場をとっていた。 文化闘争は、ビスマルクを右派やカトリックから引き離し、彼を自由主義に結び付けた。 自由主義派は、左右双方の競争者が主張したように、 資本主義的なブルジョアジーの党であるわけではなかった。 確かに、自由主義派は市民層の党であった。 しかし、少なくとも当初のうちは民衆を支えとすることができた。 自由主義派は「マンチェスター的」な自由主義であった。 とはえ普通選挙権は、伝統主義や社会民主派に、民衆的な支えを提供し、 自由主義派は次第に市民層の政党になった。 自由主義左派は、社会主義鎮圧法を拒否し、 マンチェスター主義を守るという点で保守的な姿勢を示した。 自由のために社会保険に反対したのである。 自由主義派は、ポピュリズムと社会主義とは異なる。 社会主義の台頭とともに、自由主義派は右から左へと押しやられる。 保守派は、君主と政府、地方エリート、教会、軍と貴族、農村部を護ろうとする。 その意味で、自由主義に対抗している。 1875年に書かれた論文では、その頃の経済政策は、自由主義的=資本主義的な政策であり、 ユダヤ人のための利潤追求を特徴としていると主張されている。 とはいえ、穏健な保守主義者たちは、極端な反ユダヤ主義に反対していた。 反ユダヤ主義と保守主義は、そのまま同じものではない。 保守主義は、議会主義を否定し、社会の平等を拒否した。 保守主義は、個人主義を否定し、家父長主義と伝統と宗教を、資本主義から守ろうとした。 文化闘争は、カトリックに対して、官僚的な国家、国民的な自由主義、教皇至上主義の攻勢という、 三重の攻勢から成るものである。 (カトリックにも教皇至上主義とは違う勢力がいるらしいですね。) プロイセンでは、カトリックの修道院が襲撃されたりして、 修道院を守ることが、差し迫った問題となっていた。 小ドイツ主義=プロイセン的な運動は、プロテスタンティズムと結び付いている。 カトリックはオーストリアと結び付く、大ドイツ主義に共感を寄せている。 小ドイツ主義が勝利してからは、カトリック派は、小ドイツ主義帝国のなかで、 少数派となったのである。 プロイセンに距離を置く勢力は、連邦主義を強調した。 ドイツでも、カトリックの政党として、中央党が結成されたが、 イギ...