ニッパーダイを読みながら51
1840年代から議論されるようになった刑務所改革は、 社会復帰を目指し、釈放後の生活を可能なようにすること、 労働を教育の手段とすることを目指していた。 社会的に劣悪な状態におかれた少数民族の犯罪率は高い。 学校教育は、犯罪を阻止する1つの要素となっていた。 犯罪が依然として社会的なプロテストの戦線と結び付くこともある。 1872年の裁判所構成法は、官僚と自由主義の精神に基づいていた。 この法律は、司法を国家の物とすることを定めて、 封建的・身分制的な司法権を撤廃した。 裁判官は、一方的に罷免されてしまわないことが保障された。 司法の独立性が、制度的に保障されたのである。 一般人が判決に参加できるかどうか、陪審裁判を取り入れるかどうかの問題がある。 裁判費用が、地域によって違うという問題もある。 ストライキや団結権などの、労働に関する問題では、 階級的な裁判官が否定することもある。 営業の自由、土地法や相続権は、 資本主義的な市場経済の精神に合致するように改められた。 個人を、過剰な国家による拘束から護ろうとする自由主義的な傾向があった。 資本に対して、農業政策の立場から提起された異議もあった。 国家ナショナリズムと民族ナショナリズムは違う。 労働法(団結権とストライキ権)が定められた。