「現実政策」は、政治を規範的な理念に基づいて行うことはできない。 具体的に言えば、今や自由主義派にとって肝心なことは、 反対派としての立場に立ち、 現実に抗して自分たちの夢を堅持することではなくて、 事態を形作るのに協力し、統治能力を備えた状態へと向上していくことなのである。 そうなれば一つの権力となることができるだろう。 このような主張は、自由主義の屈服を意味するのではないだろうか? 法よりも権力を選択するのだと。 大ブルジョアジーや中層市民層は、 反対派としての立場を保って、自由主義的であり続けた小市民層と別れ、 古くからの既成支配層に近づいた。 ビスマルクはマキャベリズムである。 1866年に、ドイツ革命、ビスマルクの革命が起こった。 オーストリアの人々がドイツに所属しているという状態と、 ドイツが個別的な諸邦によって構成されているという状態に終止符を打って、 ビスマルクは、プロイセンの自己主張と権力の拡大を、 時代の潮流に乗ることによって達成した。 ビスマルクは国民的な運動と手を結んだ。 市民的な社会を国民国家に結びつけたのである。 1866年の敗者はオーストリアであった。 オーストリアはもはやドイツの大国ではなくなったのである。 ビスマルクの国民的な政策は「上からの」政策であり、 「下から」、民衆や大衆によって、既存の諸制度を超えたところで操作されないまま、 操作不能な状態で成し遂げられてはならなかったのである。 そのような条件の下でビスマルクは、国民運動と手を結んだのである。 ビスマルクは、大プロイセン主義から、国民ドイツ的な政策へと移行したのであった。 プロイセンの指導の下での国民的な統一に対しては、 反プロイセン主義勢力が手を結んだ。 民主派、自邦中心主義的な君主たち、保守主義者、教皇至上主義者、革命的な社会主義者などである。 国民自由主義者は、プロイセンによる国民的な統一が達成されれば、 自由を尊重する憲法秩序も実現するだろうと信じていた。 逆に民主主義者たちは、プロイセンの覇権が阻止されて初めて、 ドイツ統一への道も見出せるだろうと信じていた。 国民民主主義者は、反プロイセン主義なのである。 ドイツ問題の最終的な解決、国民国家的な統一の完成は、 誰もが逃れることのできない自然なプロセスであった。 ビスマルクは、そのような状態の下で...