ニッパーダイを読みながら41

君主主義と貴族支配は、市民階層の少なくとも一部分を取り込むことで、
国家を強化して、革命によって揺さぶられるのを防ごうとした。
ビスマルクの目から見ても、自由主義派とのある種の和解が、
プロイセンの覇権にとって、重要であると思われたのである。

下院の選挙では、保守派の議席は激減し、民主主義派は選挙をボイコットし、
「アルトリベラル」(穏健自由主義派)が過半数を制した。

反動期の法律は緩められ、
司法・地方自治行政・出版・結社といった、古くからの自由主義的な改革と、
学校改革や営業制度、経済制度の自由主義的な改革のような新しい改革構想とが、
要するに、市民的な自由と、市民的な平等と、自由主義的な市場経済が推進される。

ポピュリズムとは、民主主義のことである。

1850年代と1860年代のドイツは、好況の時期であり、
社会革命の危険性は減少していた。
それまでの中程度の市民層の中から、企業家、経済ブルジョアジーが、
くっきりとした輪郭を持って抜け出すようになる。
保守主義の社会的な基盤を成す大規模農家が、足場を固めて強化される。
農業の近代化に伴う経済的な成功が、まさにユンカー階級に有利に働いた。

観念論哲学が終わりを迎え、自然科学、歴史的な学問が支配的な地位を占めるようになった。
ロマン主義的=理想主義的な起源から離れて、
経済・事実性・実験の原則を掲げる実証主義が台頭する。
プロテスタントの教養層の間では、教会的な宗教性が弱まり、
不可知論と俗流唯物主義が進出した。
芸術においては「現実」、写実主義への転換が生じる。