ニッパーダイを読みながら35
ロマン主義の主観性と、公共的な物の客観性の対立は、
資本主義よりも、かなり前から登場していたのであるから、
悪しき資本主義にその原因を求めることはできない。
写実主義は、ロマン派の行き過ぎた主観性に対して反発した。
ロマン派に代わって、現実の対極としてではなくて、
事物を状況的に経験し得る現実に、現実の一部としての自我に向かうのである。
それは例外的な状況やアウトサイダー的な人物から離れ、
さらには愛や友情や運命の支配、宗教や形而上学から離れて、
「通常」の状況や出来事や人物に向かう。
「詩的」に作り上げられた主人公、芸術家、あるいは知識人から離れて、
「散文的」な世界を生きている人たち、とりわけ市民に向かうことを意味する。
ここで問題になるのは、写真のような客観性のことではない。
内面性と世界との、いつまでも続く脅威による対立、これらがテーマであり続ける。
写実主義者にとって肝心なのは、
現実を客観的に反映することと、主観的に解釈することとのバランスを取ることである。
客観化すると同時に主観化するのである。
資本主義よりも、かなり前から登場していたのであるから、
悪しき資本主義にその原因を求めることはできない。
写実主義は、ロマン派の行き過ぎた主観性に対して反発した。
ロマン派に代わって、現実の対極としてではなくて、
事物を状況的に経験し得る現実に、現実の一部としての自我に向かうのである。
それは例外的な状況やアウトサイダー的な人物から離れ、
さらには愛や友情や運命の支配、宗教や形而上学から離れて、
「通常」の状況や出来事や人物に向かう。
「詩的」に作り上げられた主人公、芸術家、あるいは知識人から離れて、
「散文的」な世界を生きている人たち、とりわけ市民に向かうことを意味する。
ここで問題になるのは、写真のような客観性のことではない。
内面性と世界との、いつまでも続く脅威による対立、これらがテーマであり続ける。
写実主義者にとって肝心なのは、
現実を客観的に反映することと、主観的に解釈することとのバランスを取ることである。
客観化すると同時に主観化するのである。