ニッパーダイを読みながら37

市民的な運動は、自由主義派と民主主義派に分裂し、
左派は、穏健派と極端派に分裂した。

反革命からの抵抗が激しさを増していった。

ドイツでは、古い権威が解体され、公共的な政治生活が出現した。
その結果、議会の外に、そして政治党派のかたわらに、多数の運動や組織が登場して、
様々な利害や要望や立場を表現した。
民衆学校教師、ギムナジウム教師、大学教授、大学生、医師、
大土地所有者、手工業者、労働者、自由貿易主義者、保護関税主義者、
カトリック、プロテスタント、その他、多くの集団が「運動」を形成した。
彼らは自分たちの要望を、国民議会にあてて訴えた。

カトリックは、国家からの自由を求め、急進主義者たちは教会の権力を打破しようとした。
カトリックは勝利して、イエズス会も禁止されなかった。
カトリックは左派と対抗する。

自由主義者たちは、競争と産業を支持した。
そのため市民層の一部は、自由主義者から遠ざかった。
自由主義者たちは、権威主義的な官僚支配に反対し、
地方自治体の市民たちは、近代化を推進する官僚支配に反対した。

ドイツのナショナリズム、権力への野心は、右派と左派の双方によって担われていた。
当時のナショナリズムは左派的な現象であったので、
ゲルマン人とスラブ人の闘争を、左派も支持していた。
それは50年後には、右派のものとなる。

自由主義的な革命、市民中道派の革命は、勝利を収めたように見えた。
しかし自由主義者たちは、旧権力と合意した。
一方、自由主義者たちは、革命を停止させたいと望んでいながら、
革命と完全に縁を切ることもできなかった。

左派と反革命の目標は、ともに自由主義的な体制をくつがえそうとしていた。
中道派の政策は、困難になる一方だった。

教会と軍隊も反革命だった。
民主主義者たちは共和主義であり、自由主義者の組織から分離した。
民主主義者は、不況によって強められた、下層民のプロテストを養分としていた。

穏健左派と急進主義者も違う。
社会主義者と非社会主義の民主主義者も対立した。
また、民主主義者は反革命に対峙した。