ニッパーダイを読みながら11
ドイツの場合にも、19世紀の画期的な成果となったのは産業革命、
すなわち生産の技術的な革命化、経済関係の資本主義的な革命化、
機械と工場と市場と成長である。
技術は、自然から、自然が設定する条件から解き放って、
もはや、自然を模範するものをを生み出すのではなく、
新しいもの、すなわち工作機械と原動機械を生み出した。
木材に代わって、石炭と鉄が、人間の活動によって生み出されるものとなる。
石炭が、蒸気機関を通して、自然の動力である、人間と馬、水と風に代わる動力源となる。
労働の過程が分解され、したがって古風な「技」は重要性を失い、
発明はもはや偶然ではなくて、計画に基づくものとなり、
数量化と体系的な方法によるもの、最終的には科学に基づくものとなる。
人間は自然の支配者となり、自然を我が物とする。
新たな経営方針は、「生計を立てる」ことではなくて、
最大限の利益を得ること、貨幣と現物資産の全体、
すなわち資本をそのような意味で活用することを目標とする。
この経営は、合理的・計算的で数量化を好み、
もはや人間を中心とするのではなくて、完全に即物化される。
それは匿名の、誰とも知れない市場を相手とする。
経営する者は、他の経営主体と競争する関係にある。
このような競争こそが、近代的な「市場」を創り出すのである。
それは調和のとれた連帯関係ではなく、個々の主体それぞれが、
特殊で孤立していて、保護された経済圏のなかにいるといるというのでもない。
このような経営姿勢は資本主義的である。
プロテスタンティズムによる世界の脱神聖化が、
長い目でみれば、技術者や企業家の持つ革命的な力を助長した。
啓蒙絶対主義は、官職を利害から切り離し、官僚的な合理性を強化するとともに、
計算に基づく経営を可能にし、革新を敵視する古いツンフト(同業者組合)体制を打破した。
資本主義的な企業、株式会社がツンフト組織に取って代わった。
鉄道の大多数は株券を土台とした民間鉄道だった。
とはいえ、認可を与えるのは国家であり、その際に、路線の経路に影響を及ぼすことができた。
蒸気船と鉄道が初めて、株式会社の設立を強く要望するのである。
ナポレオンの時代に台頭した銀行家であるロートシルト家は、
フランクフルト・ウィーン・パリ・ロンドン・ナポリに居を構えていたが、
彼らはメッテルニヒの復古政策の資金を調達し、1822年にはウィーンで男爵となった。
(広瀬隆「赤い盾ーロスチャイルドの謎」は興味深い著作です。)
ドイツでは1850年代に、農業から産業化、工業化の段階へと変化する。
貴族と産業界とは互いに適合する関係にはなかった。
そのかたわらで、古くからの支配者に認められることを願い、
その世界に入り込もうとする動きも存在する。
すなわち、勲章や肩書を求め、
あるいは、息子たちがランクの高い連隊に入れるようにする動きのことだが、
その際には政府に忠実な態度を取るという対価が払われる。
いわゆる「ブルジョアジーの封建化」が始まるのである。
しかし「政府に敵対的な態度」を取っているという理由で、
貴族に叙するのを拒否された人の数は多い。
貴族は、無能で、不道徳で、傲慢で、恣意的で、反動的だが、
企業家は、有能で、品行方正で、啓蒙されていて、国民的だと思われていたのである。
企業家も公益に奉仕しなければならないというのは、
キリスト教・人道的な動機から言って、自明のことだった。
ライン地方の起業家たちは、大衆貧窮の危険性、
「金権貴族」と無産者とに両極化することの危険性を自覚していて、
例えば憲法とアソシエーション(協会や協同組合のような任意加入の自発的な組織)
というプログラムを通して、この危険性に対抗しようとした。
マルクスが産業界の反政府的な機関紙だった『ライン新聞』に雇われたのも偶然ではない。
革命中に、企業家たちは立憲主義派=自由主義派の陣営に属した。
彼らは自由主義的な要求を実現し、刷新された政府を秩序維持勢力として安定させて、
差し迫った転覆に対抗することを望んだ。
本格的な産業化が進展する時代には、
自由主義的な立法を通して、企業家たちと諸邦政府との、経済政策面での対立は縮小した。
すなわち生産の技術的な革命化、経済関係の資本主義的な革命化、
機械と工場と市場と成長である。
技術は、自然から、自然が設定する条件から解き放って、
もはや、自然を模範するものをを生み出すのではなく、
新しいもの、すなわち工作機械と原動機械を生み出した。
木材に代わって、石炭と鉄が、人間の活動によって生み出されるものとなる。
石炭が、蒸気機関を通して、自然の動力である、人間と馬、水と風に代わる動力源となる。
労働の過程が分解され、したがって古風な「技」は重要性を失い、
発明はもはや偶然ではなくて、計画に基づくものとなり、
数量化と体系的な方法によるもの、最終的には科学に基づくものとなる。
人間は自然の支配者となり、自然を我が物とする。
新たな経営方針は、「生計を立てる」ことではなくて、
最大限の利益を得ること、貨幣と現物資産の全体、
すなわち資本をそのような意味で活用することを目標とする。
この経営は、合理的・計算的で数量化を好み、
もはや人間を中心とするのではなくて、完全に即物化される。
それは匿名の、誰とも知れない市場を相手とする。
経営する者は、他の経営主体と競争する関係にある。
このような競争こそが、近代的な「市場」を創り出すのである。
それは調和のとれた連帯関係ではなく、個々の主体それぞれが、
特殊で孤立していて、保護された経済圏のなかにいるといるというのでもない。
このような経営姿勢は資本主義的である。
プロテスタンティズムによる世界の脱神聖化が、
長い目でみれば、技術者や企業家の持つ革命的な力を助長した。
啓蒙絶対主義は、官職を利害から切り離し、官僚的な合理性を強化するとともに、
計算に基づく経営を可能にし、革新を敵視する古いツンフト(同業者組合)体制を打破した。
資本主義的な企業、株式会社がツンフト組織に取って代わった。
鉄道の大多数は株券を土台とした民間鉄道だった。
とはいえ、認可を与えるのは国家であり、その際に、路線の経路に影響を及ぼすことができた。
蒸気船と鉄道が初めて、株式会社の設立を強く要望するのである。
ナポレオンの時代に台頭した銀行家であるロートシルト家は、
フランクフルト・ウィーン・パリ・ロンドン・ナポリに居を構えていたが、
彼らはメッテルニヒの復古政策の資金を調達し、1822年にはウィーンで男爵となった。
(広瀬隆「赤い盾ーロスチャイルドの謎」は興味深い著作です。)
ドイツでは1850年代に、農業から産業化、工業化の段階へと変化する。
貴族と産業界とは互いに適合する関係にはなかった。
そのかたわらで、古くからの支配者に認められることを願い、
その世界に入り込もうとする動きも存在する。
すなわち、勲章や肩書を求め、
あるいは、息子たちがランクの高い連隊に入れるようにする動きのことだが、
その際には政府に忠実な態度を取るという対価が払われる。
いわゆる「ブルジョアジーの封建化」が始まるのである。
しかし「政府に敵対的な態度」を取っているという理由で、
貴族に叙するのを拒否された人の数は多い。
貴族は、無能で、不道徳で、傲慢で、恣意的で、反動的だが、
企業家は、有能で、品行方正で、啓蒙されていて、国民的だと思われていたのである。
企業家も公益に奉仕しなければならないというのは、
キリスト教・人道的な動機から言って、自明のことだった。
ライン地方の起業家たちは、大衆貧窮の危険性、
「金権貴族」と無産者とに両極化することの危険性を自覚していて、
例えば憲法とアソシエーション(協会や協同組合のような任意加入の自発的な組織)
というプログラムを通して、この危険性に対抗しようとした。
マルクスが産業界の反政府的な機関紙だった『ライン新聞』に雇われたのも偶然ではない。
革命中に、企業家たちは立憲主義派=自由主義派の陣営に属した。
彼らは自由主義的な要求を実現し、刷新された政府を秩序維持勢力として安定させて、
差し迫った転覆に対抗することを望んだ。
本格的な産業化が進展する時代には、
自由主義的な立法を通して、企業家たちと諸邦政府との、経済政策面での対立は縮小した。