ニッパーダイを読みながら13
貧困は、かつてのように自然と神によって与えられたものと見なすことはできず、
社会の病として語られるようになった。
労働者が、市民的な社会の均衡と秩序を脅かし、
共産主義が広まれば、いっそう脅威となる、と意識されるようになった。
ヘーゲル以降、疎外の問題ー分業と機械による生産における、
無味乾燥で、自動的で、感情を鈍麻させる労働ーが好んで採り上げられる問題となっていた。
保守主義者たちは、「ブルジョアジー」を告発する傾向が強く、
自由主義者たちは、無能な国家や封建的な状況を非難する傾向が強かった。
ノスタルジーに駆られて、最も貧しい者でも、ヒエラルヒーと調和に基づいた、
確固とした秩序の中に自らの居場所を持っていた「古き良き時代」を対置し、
共同社会を、利益社会に対置することもあり得たが、
しかし、技術と経済の変化はもはや元に戻し得ないという認識が出発点とされていた。
「社会保守主義」と「社会自由主義」という二つの類型がある。
社会保守主義者は、カトリックであれ、プロテスタントであれ、
ロマン主義的な反自由主義的な社会観を出発点としている。
彼らの目から見れば、結びつきを解消する、社会を機械的にアトム化する「自由主義」は、
個人の自律性と自由を信じているが、それは新たな専制と奴隷制に通じるだけなのであり、
無神論は利己主義を解き放って、社会問題を生み出しているのである。
そうであるとすれば、肝心なのは、流動的で市民的な業績社会・階級社会を解き放った行為を、
国家が撤回することであり、農業的・手工業的な社会を強化することである、と。
しかしながら、そのように過ぎ去ってしまった世界を指針とする姿勢は、
当然のことながら、ユートピア的な性格を帯びざるを得なかった。
宗教は、労働者を「奉仕」の習性で満たし、
彼らを「道徳」と「勤勉」によって強め、
「変化中毒症」から護り、彼らを「身分なき身分」とは区別して、
社会の中の真の身分にするべきであると主張した。
聖職者が指導する下での労働者の社団が望まれ、
聖職者が、議会で議席と投票券を持って、労働者を代表するべきだと主張した。
「社会カトリシズム」は労働者保護に関して、
物質的な生活条件と賃金に、国家が影響を及ぼすべきだと考えた。
プロテスタントの保守主義者は「財産を持たない労働者」を、
「労働する財産所有者」に変えることを目指す、「生産協同組合」を設置するよう要求していた。
教会派の人たちは、伝統的な慈善的=家父長主義的な、そして純然たる宗教的=モラル的な処方箋と、
産業化以前の教会モデルを乗りこえていたのであり、「より近代的」になり始めていたのである。
いかなる革命的な動きをも封じ込めようという反動派の闘いは、労働者の組織化を警戒した。
1869年に、最終的に団結の自由が法律として確定された。
社会の病として語られるようになった。
労働者が、市民的な社会の均衡と秩序を脅かし、
共産主義が広まれば、いっそう脅威となる、と意識されるようになった。
ヘーゲル以降、疎外の問題ー分業と機械による生産における、
無味乾燥で、自動的で、感情を鈍麻させる労働ーが好んで採り上げられる問題となっていた。
保守主義者たちは、「ブルジョアジー」を告発する傾向が強く、
自由主義者たちは、無能な国家や封建的な状況を非難する傾向が強かった。
ノスタルジーに駆られて、最も貧しい者でも、ヒエラルヒーと調和に基づいた、
確固とした秩序の中に自らの居場所を持っていた「古き良き時代」を対置し、
共同社会を、利益社会に対置することもあり得たが、
しかし、技術と経済の変化はもはや元に戻し得ないという認識が出発点とされていた。
「社会保守主義」と「社会自由主義」という二つの類型がある。
社会保守主義者は、カトリックであれ、プロテスタントであれ、
ロマン主義的な反自由主義的な社会観を出発点としている。
彼らの目から見れば、結びつきを解消する、社会を機械的にアトム化する「自由主義」は、
個人の自律性と自由を信じているが、それは新たな専制と奴隷制に通じるだけなのであり、
無神論は利己主義を解き放って、社会問題を生み出しているのである。
そうであるとすれば、肝心なのは、流動的で市民的な業績社会・階級社会を解き放った行為を、
国家が撤回することであり、農業的・手工業的な社会を強化することである、と。
しかしながら、そのように過ぎ去ってしまった世界を指針とする姿勢は、
当然のことながら、ユートピア的な性格を帯びざるを得なかった。
宗教は、労働者を「奉仕」の習性で満たし、
彼らを「道徳」と「勤勉」によって強め、
「変化中毒症」から護り、彼らを「身分なき身分」とは区別して、
社会の中の真の身分にするべきであると主張した。
聖職者が指導する下での労働者の社団が望まれ、
聖職者が、議会で議席と投票券を持って、労働者を代表するべきだと主張した。
「社会カトリシズム」は労働者保護に関して、
物質的な生活条件と賃金に、国家が影響を及ぼすべきだと考えた。
プロテスタントの保守主義者は「財産を持たない労働者」を、
「労働する財産所有者」に変えることを目指す、「生産協同組合」を設置するよう要求していた。
教会派の人たちは、伝統的な慈善的=家父長主義的な、そして純然たる宗教的=モラル的な処方箋と、
産業化以前の教会モデルを乗りこえていたのであり、「より近代的」になり始めていたのである。
いかなる革命的な動きをも封じ込めようという反動派の闘いは、労働者の組織化を警戒した。
1869年に、最終的に団結の自由が法律として確定された。