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アルビジョア十字軍、アナーニ事件、アビニョン捕囚とノガレの関係

アルビジョア十字軍(1209~1229年)と、 アナーニ事件(1303年)、 アビニョン捕囚(1309年~1377年)を結ぶ重要人物として、 ギヨーム・ド・ノガレという人がいます。 ノガレの祖父は、ローマ教皇インノケンティウス3世が呼びかけた、 『アルビジョア十字軍』により、異端として処刑されました。 ノガレとしては、その報復なのでしょう。 ノガレが仕えたフランス王・フィリップ4世は、 ローマ教皇ボニファティウス8世を『アナーニ事件』で襲撃し、 教皇はその直後に憤死しました。 1309年には、教皇がフランスのアビニョンに捕囚される、 『アビニョン捕囚』が始まっています。 (教皇のバビロン捕囚とも呼ばれる)。 このアビニョン捕囚の政策にも、ノガレは関与しています。 https://www.y-history.net/appendix/wh0904-082.html 「ガリカニスム(フランス教会自立主義) フランスのカトリック教会はローマ教皇から分離し、 王権が教会に優先すべきであるという、国家教会主義の思想。 フィリップ4世の時の1303年のアナーニ事件のころから盛んになってきた。 さらに教皇のバビロン捕囚と教会大分裂が続き、 教皇権の衰退が進む中で、さらに強まっていった。」 ↓ この『ガリカニスム』とは『ガリア(ケルト)主義』のことです。 ちなみに、フィリップ4世は、フランスのカペー朝の王なのですが、 カペー朝はカロリング朝の次のフランス王朝です。 (カロリング朝は、今日のイタリア・フランス・ドイツのもととなっています)。

ローマ帝国の暗愚な皇帝とドルイド教に関係はあるのか?

はっきり覚えていないので、誰かに調べてほしいのですが、 ミシュレによると、古代ローマ帝国の愚かな皇帝とされている人たちは、 ガリア(ケルト)のドルイド教を信仰したから、 キリスト教から低い評価を与えられているのではないか?という。 ガリア人(ケルト人)はローマ共和国の、ユリウス・カエサルに征服されましたが、 その文化の影響は未だにフランスに残っているらしいです。 カエサルと戦ったガリア人、ウェルキンゲトリクスは、ウィキペディアによると、 「近代に至ってもウェルキンゲトリクスはフランス最初の英雄、 ガリア解放の英雄とされ、かつてアレシアの町があった 現在のアリーズ・サント・レーヌ村にはナポレオン3世の命によって銅像が建てられた。 また、フランス人彫刻家フレデリク・バルトルディ作のウェルキンゲトリクスの像が、 クレルモン=フェランの中央広場に建てられた。 そのほか、サン=ジェルマン=アン=レーには彫刻家エメ・ミレー作の像が建てられている。 最近では、1959年に始まったフランス発でヨーロッパとその旧植民地全体へ広がった人気漫画 『アステリックス』シリーズにはウェルキンゲトリクスの姿が投影されている。」 ミシュレによると、ガリア人は自由を好む人種だとのことですが、 (ゲルマン人はリーダーシップを好むらしい)、 僕が適当に類推すると(根拠はありませんが)、実存主義者サルトルが、 「この不条理な世界に投げ込まれ、自由の刑に処された、いまだ何者でもない…」 と自由を好むのも、もしかするとガリア人の文化が影響を与えているのかもしれません。

メロヴィング朝カトリックと数学、天文学との関係は?

トゥールのグレゴリウスによる「フランク史」から引用 「あなたに読書のための文法を教え、論争の問題提起の方法を指導し、 修辞学における韻律の作り方、幾何学における地面や線の割りふり方、 天文学の星の運行の観察、代数学の数の性質、 音の調べをうつくしい言葉の抑揚にぴったりあわせる術をすべて教え込み…」 トゥールのグレゴリウスは、西暦573年に司教になっているので、 「幾何学」「代数」「天文学」など理系の勉強をしているのが、 時代として早いことに驚かされます。 「フランスの歴史を知るための50章」によると、 西欧社会でアリストテレスが本格的にしられるようになったのは、 12世紀からだという。 「自然界の物体の運動や生物(魂)の仕組み、倫理や政治の構造について、 その全体を体系的かつ合理的に説明するアリストテレス哲学の 実質的な本体が伝わったとき、彼の哲学的諸著作は熱心に読まれた」 ルネサンスのラファエロが、 アリストテレスを登場させている「アテネの学堂」 という絵画を描いたのが、1509年、1510年の間。 歴史家のミシュレによると、 ルネサンスの建築家ブルネレスキ(1337-1446年)は、 建築に数を持ち込んだことが画期的だという。 「彼の建築空間は、透視図法の幾何学性を通じて形成されたと説明されることがある」 wikiから引用すると、 「中世=暗黒時代観」 従来の一般的な見方は次のようなものである。およそ1000年間にかけて ローマ帝国の国教になり、西洋人の宗教信仰となった 純粋なキリスト教支配のもと、西ヨーロッパ圏では 古代ローマ・ギリシア文化の破壊が行われ、 世界に貢献するような文化的展開をすることはできなかった。 こうした見方はルネサンス以前の中世を停滞した時代、 暗黒時代とみなすものである。 現在では古典的な古代文化の復興はイタリア・ルネサンス以前にも 見られる現象であることが明らかにされている。 9世紀のフランク王国の「カロリング朝ルネサンス」や、 10世紀東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の「マケドニア朝ルネサンス」 および帝国末期の「パレオロゴス朝ルネサンス」、 西ヨーロッパにおける「12世紀ルネサンス」などがあり、 これら(複数のルネサンスとも呼ばれる)…」 トゥールのグレゴリウスは、 メロヴィング朝の時代の人であり、 9世紀のカロリン...

レジリエンスという考えの罠

レジリエンスとは心理学の用語で、 「同じようなストレスフルな体験をしても、 心理的・社会的に不適応に陥る者もいれば、そうでない者もいる。 深刻な危険性にもかかわらず、適応的な機能を維持しようとする現象」 のことを指し示します。 しかし『感情の歴史』という歴史書によると、 レジリエンスとは、労働者が過酷な状況に置かれても、 それに耐えられる搾取に、都合のよい労働条件を、肯定するために考え出されている、 と主張しています。 『児童や女性の労働実態』 石炭運びをしているエリソン=ジャックという11歳の少女の言。 「わたしはお父さんのために3年間も地下で働いています。 お父さんは朝の2時にわたしを下へおろし、翌日の午後1時か2時にわたしは上ってきます。 そして、あしたの朝すぐに仕事にいけるように、夜の6時に寝ます。 わたしが入る炭鉱の部分は、鉱層がまるで刃のようになっています。 わたしは石炭を背負って、脚立ないし梯子を4つのぼり、 やっと炭鉱の端に通じている主坑道にでます。 わたしの仕事量は桶に4~5杯で、桶には216キログラムはいります。 わたしは20往復で桶5杯をいっぱいにします。 命令どおりやれなかった時は、むちでぶたれます。」 「1883年の工場法(一般工場法・幼児労働の禁止や18歳未満の少年の長時間労働禁止)では、 ロバート=オーウェンの主張する工場監察官の設置も定められたが、 炭鉱労働の調査はおくれていた。」 苦しみの原因を、人間の内面に求める考えは、 社会による抑圧、搾取を隠蔽する傾向があります。 「社会じゃない、お前が変われ」と述べた作家がいますが、 「お前じゃない、社会が変われ」と僕は言いたい。 主体的な在り方と、社会的な構造の、双方を、改善していくことが重要なのでしょう。 『レジリエンス』のように、上層階級の隠された意図をもつ情報は極めて多い。 キリスト教の教えが、王侯貴族に歓迎されるのも、 この世での搾取を耐え忍べ、という意図が働いているのかもしれません。

国家と愛は正反対のものである

イエスは、神を受肉した人間でした。 神は移り変わる物ではない。人間は生まれ、死ぬものである。 イエスは、十字架にかかり、死ぬまでの間は、 ただの肉体にすぎませんでした。 十字架にかかるまでに、数々の奇跡を起こし、 死後、三日目に復活するイエスは、神だったのです。 イエスは、「カエサル(ローマ皇帝)の物はカエサルへ、神の物は神へ返しなさい」と言いました。 国家と神は別なものだと、イエスは説くのです。 フランスのルイ14世は、国家を受肉した人間でした。 「朕は国家なり」とは有名な発言ですが、 絶対王政、王権神授説など、イエスの原理と正反対の象徴なのです。 ルイ14世はカトリックで、プロテスタントを追放しました。 フランスのプロテスタントはユグノーと呼ばれ、カルヴァン派です。 カルヴァン派は世俗内禁欲によって、富を蓄える、という教えであり、 資本主義の精神を用意した宗派でした。 ユグノーを追放したことにより、フランスの経済は傾いていきました。 僕の推論を始めますが、 イエスは、善行を金銭の増大にたとえ、善行を稼いできなさい、 といった教えを残したと思います。 この「稼ぎ」を文字通り、現実世界の金銭蓄財と曲解したのが、カルヴァン派なのではないか? 新約聖書では、お金を蓄えてはならない、という教えが強く主張されています。 一方、カトリックの方は、聖書に忠実と言えるのでしょうか? イエスは、貧しき人、さげすまれている人たちが、死後に救われると説いています。 ヴァチカンによる、免罪符を買うことにより、罪は許される、という主張は、 間違った金集めであり、それに反対(プロテスト)したのが、ルターでした。 ルターは、教会ではなく、「聖書のみ」という教えを説きました。 ラテン語ばかりであった聖書を、ドイツ語訳して、多くの人に広げたのもルターでした。 印刷術の発展もあり、聖書が多くの人に読まれるようになり、 キリスト教は、教会のヒエラルキーの上層部から、一般庶民へ解放されました。 もっとも、カトリックの上層部が、間違いを自覚しつつ、 イエスのような強者についていけない一般庶民を導いているのだ、という意見もあります。 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の大審問官の章が、 カトリックの本音なのか、どうか、という問題は、非常に興味深いものです。 神の正当な後継者、貧民に、い...

メロビング朝のカトリック

クローヴィス1世(481年にメロヴィング朝を始める) はカトリック教徒の妻の影響により、カトリックに改宗しました。 以下、メロビング朝の時期のカトリックの概観をしてみます。    1,アリウス派との論争 カトリックでは三位一体(父、精霊、子は同格)であるのですが(アタナシウス派)、 他のゲルマン民族に普及していたキリスト教アリウス派では、 新約の神は旧約の神より劣る、イエスは神でなく人間である、といった主張をしています。 カトリックの方が、新約の神と、イエスを重視していた、ということです。 2,ユダヤ人はキリスト教に改宗させる。 ユダヤ教もやはりイエスを認めません。ユダヤ教は旧約聖書しか認めないためです。 カトリックでは、イエスは、神を受肉した肉体であるため、 旧約から新約聖書への進展を理由のあるものと考えます。 3,ゾロアスター教との論争 ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれ、火を信仰しています。 しかしカトリックから見ると、 火は人間の手で点火でき、消すこともできる、 そのような物が神のわけない、という考えをとります。 4,良いことは信仰に従ったため、悪いことは信仰に背いたため。 病気が治ったり、戦争に勝つのは、人間の力量によるものではなく、 信仰があつかったため、と考えます。 信仰の厚い聖者は、イエスが死人を蘇らせたように、 信者の病気をなおすことができます。 逆に病気にかかったり、死亡したり、敗戦したりするのは、 カトリックの信仰にそむいたためと説明されます。 5、 古代ローマの詩人ウェルギリウス(前70年ー全19年)の叙事詩、 『アエネーイス 』は認めている。 アエネーイスはラテン文学の最高傑作と言われているらしいのですが、 カトリックから見て異教であるはずのラテン文化が、 カトリックにも影響を与えていた、ということなのだろうか? 後代のルネサンスは、ギリシア文化、ローマ文化の復興という性格を持つのですが、 メロヴィング朝の時期にもローマ文化が認められていたとすると興味深いですね。

罪と罰の二人目の殺人の理由

 ドストエフスキー「罪と罰」で、 ラスコーリニコフが、なぜ二人目の殺人を犯したのかは、 金持ちの強欲な老婆だけでなく、心の清い者を殺すことで、 悪魔にとりつかれていたことを、表現するためではないか?と僕は推測しています。 https://ks-novel.com/crime_and_punishment/-/28163/.html ラスコーリニコフは長らく無神論者の立場に徹していました。実はラスコーリニコフの正式名をロシア語にすると、イニシャルが「PPP」になります。それをひっくり返せば「666」になります。つまり「 悪魔、反キリスト 」といったメッセージが名前に隠されているのです。