メロヴィング朝カトリックと数学、天文学との関係は?

トゥールのグレゴリウスによる「フランク史」から引用

「あなたに読書のための文法を教え、論争の問題提起の方法を指導し、
修辞学における韻律の作り方、幾何学における地面や線の割りふり方、
天文学の星の運行の観察、代数学の数の性質、
音の調べをうつくしい言葉の抑揚にぴったりあわせる術をすべて教え込み…」

トゥールのグレゴリウスは、西暦573年に司教になっているので、
「幾何学」「代数」「天文学」など理系の勉強をしているのが、
時代として早いことに驚かされます。

「フランスの歴史を知るための50章」によると、
西欧社会でアリストテレスが本格的にしられるようになったのは、
12世紀からだという。

「自然界の物体の運動や生物(魂)の仕組み、倫理や政治の構造について、
その全体を体系的かつ合理的に説明するアリストテレス哲学の
実質的な本体が伝わったとき、彼の哲学的諸著作は熱心に読まれた」

ルネサンスのラファエロが、
アリストテレスを登場させている「アテネの学堂」
という絵画を描いたのが、1509年、1510年の間。

歴史家のミシュレによると、
ルネサンスの建築家ブルネレスキ(1337-1446年)は、
建築に数を持ち込んだことが画期的だという。
「彼の建築空間は、透視図法の幾何学性を通じて形成されたと説明されることがある」

wikiから引用すると、

「中世=暗黒時代観」
従来の一般的な見方は次のようなものである。およそ1000年間にかけて
ローマ帝国の国教になり、西洋人の宗教信仰となった
純粋なキリスト教支配のもと、西ヨーロッパ圏では
古代ローマ・ギリシア文化の破壊が行われ、
世界に貢献するような文化的展開をすることはできなかった。
こうした見方はルネサンス以前の中世を停滞した時代、
暗黒時代とみなすものである。

現在では古典的な古代文化の復興はイタリア・ルネサンス以前にも
見られる現象であることが明らかにされている。
9世紀のフランク王国の「カロリング朝ルネサンス」や、
10世紀東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の「マケドニア朝ルネサンス」
および帝国末期の「パレオロゴス朝ルネサンス」、
西ヨーロッパにおける「12世紀ルネサンス」などがあり、
これら(複数のルネサンスとも呼ばれる)…」

トゥールのグレゴリウスは、
メロヴィング朝の時代の人であり、
9世紀のカロリング朝ルネサンスよりも先である。
(メロヴィング朝の宮宰ピピン3世がメロヴィング朝を倒して、
開いたのがカロリング朝)

キリスト教とローマ・ギリシア文化(哲学、数学、自然科学など)
のつながりは、思われているより早いのだろうか?

もしくは聖書の文化そのものに、数字と結びつく性格があるのだろうか?

https://christianpure.com/ja/learn/number-3-symbolism-bible/
新約聖書では、「3」という数字はさらに大きな意味を持つ。
イエスの宣教は約三年間続き、荒野で3回誘惑を受けた。
イエスが十字架につけられたとき、暗闇が3時間にわたって大地を覆った。

最も有名なのは、イエスが三日目に死からよみがえったことだろう。」

このブログの人気の投稿

国家と愛は正反対のものである

アルビジョア十字軍、アナーニ事件、アビニョン捕囚とノガレの関係

メロビング朝のカトリック