国家と愛は正反対のものである

イエスは、神を受肉した人間でした。
神は移り変わる物ではない。人間は生まれ、死ぬものである。

イエスは、十字架にかかり、死ぬまでの間は、
ただの肉体にすぎませんでした。
十字架にかかるまでに、数々の奇跡を起こし、
死後、三日目に復活するイエスは、神だったのです。

イエスは、「カエサル(ローマ皇帝)の物はカエサルへ、神の物は神へ返しなさい」と言いました。
国家と神は別なものだと、イエスは説くのです。

フランスのルイ14世は、国家を受肉した人間でした。
「朕は国家なり」とは有名な発言ですが、
絶対王政、王権神授説など、イエスの原理と正反対の象徴なのです。

ルイ14世はカトリックで、プロテスタントを追放しました。
フランスのプロテスタントはユグノーと呼ばれ、カルヴァン派です。
カルヴァン派は世俗内禁欲によって、富を蓄える、という教えであり、
資本主義の精神を用意した宗派でした。
ユグノーを追放したことにより、フランスの経済は傾いていきました。

僕の推論を始めますが、
イエスは、善行を金銭の増大にたとえ、善行を稼いできなさい、
といった教えを残したと思います。
この「稼ぎ」を文字通り、現実世界の金銭蓄財と曲解したのが、カルヴァン派なのではないか?
新約聖書では、お金を蓄えてはならない、という教えが強く主張されています。

一方、カトリックの方は、聖書に忠実と言えるのでしょうか?
イエスは、貧しき人、さげすまれている人たちが、死後に救われると説いています。
ヴァチカンによる、免罪符を買うことにより、罪は許される、という主張は、
間違った金集めであり、それに反対(プロテスト)したのが、ルターでした。
ルターは、教会ではなく、「聖書のみ」という教えを説きました。
ラテン語ばかりであった聖書を、ドイツ語訳して、多くの人に広げたのもルターでした。
印刷術の発展もあり、聖書が多くの人に読まれるようになり、
キリスト教は、教会のヒエラルキーの上層部から、一般庶民へ解放されました。

もっとも、カトリックの上層部が、間違いを自覚しつつ、
イエスのような強者についていけない一般庶民を導いているのだ、という意見もあります。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の大審問官の章が、
カトリックの本音なのか、どうか、という問題は、非常に興味深いものです。

神の正当な後継者、貧民に、いつキリスト教は返還されるのか?

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