ニッパーダイを読みながら19

19世紀前半のドイツの君主制は、絶対主義、王朝的、家父長的、ではなく、
もはや宗教と伝統のみによって正当化されるのではなく、
その機能によって正当化された。
すなわち、君主は国家機関であった。
君主の行動は、国家機関の同意を得てのみ可能だった。
君主は市民的になったのである。
貴族も強力な影響力を持っていたが、近代的な国家にしっかりと組み込まれていた。
要するに、国家は、何よりも官僚的な官憲国家だったのである。

国家は市民に対して、納税義務、就業義務、兵役義務を課すようになり、
それは国家に権力を与えた。
官僚は君主に仕えるだけの人たちではなくて、国家への「奉仕者」であった。
官僚は自分たちを「普遍的身分」、すなわち、専門知識と理性による者として、
特殊部分的なエゴイズムに対抗して、一般的な公共を代表する存在と考えていた。

官僚は、封建性、ブルジョアジー、民衆運動と対立した。

官僚は、大学での法学の勉学と、無給の準備期間を必要としており、
下層の人たちを閉め出していた。
プロイセンの場合、1820年には、県庁と州庁のメンバーの、
75パーセントが市民出身、25パーセントが貴族だった。
しかし官僚の指導的なポストには、古来の貴族が占める割合が多かった。

官僚は、かつては教養人の世論の代表者であり、
市民的世論、理性と公益の先導者という役割を担っていたが、
しかし、逆に、その種のものを抑制し、復古の体制に順応するようになった。