ニッパーダイを読みながら21

鉄道と商業と産業が保守主義を崩していく。
憲法と機械が、その時代のポジティブな徴候なのである。
その憲法は、ナポレオンの時代における発展から生じた。

自由主義的な憲法は、個別邦、連邦の復古的な体制と衝突し、
全ドイツ、国民的な解決がなければ、成功を収めることが不可能だった。
自由は統一を必要としていたのである。

バーデンでは、議会と政府が対立し、
1841年に、議会は、政府が行っていること、
すなわち検閲、警察の措置などを憲法違反であると宣言した。
そこで大公は、議会を休会する。
議会は、この休会措置は憲法違反であると宣言した。

バーデンでは1846年に、自由主義派が勝利し、
穏健自由主義的な官僚の内務大臣が、指導的な大臣となり、
政府と議会多数派の間で、一応の協力関係が発展していった。
カトリックの政治運動と、急進民主主義的な左派に直面して、
双方が歩み寄ったのである。

自由主義者たちは、反対派として邦民の権利を防衛し、
政府に対してチェックする対抗勢力となることが、
自分たちの役割なのだという見方をとった。