ニッパーダイを読みながら18

自由主義は保守主義の理念の敵対者である。
保守主義とは何よりもまず、秩序と安定の維持である。
保守主義の人間論的な前提によれば、啓蒙主義とは異なり、
人間は善良な存在ではなくて、有限で罪深い存在である。
したがって自由は破壊的であり、必要なのは、秩序を保つ諸制度だと考えるのである。
秩序と安定を保つためには、権威が必要とされる。
議論は、いかなる権威をも確立することができない。
そして多数派は不安定なままであり、多数派が「理性的」に行動することはできない。
「多数派ではなくて権威を」が19世紀のプロイセンの保守主義者たちのスローガンとなる。

権威は単一なものでなければならず、国家権力を分割することは不可能である。
したがって、本来の権威とは、君主の権威である。
正統性、古さと継続性と法的な効力、生まれと相続、そして神によって、権威は正当化される。
神は支配に正統性を付与する。
保守的なキリスト教の伝統的な徳である、敬虔と、畏敬と、謙譲、
忠誠と服従が、保守を支える基盤に属する。
革命家や進歩主義者と異なり、保守主義者は、伝統と過去を強調する。

保守主義者たちは、自由主義者たちの個人主義を批判する。
全体が部分よりも優位に立つのであり、
人間は、様々な結びつきと社団、家族と職業のなかで生きているのである。
それは、不平等でヒエラルヒー的で、区分されている社会となることをも意味する。

自由主義を、ブルジョアジーとインテリゲンチャのイデオロギーとして攻撃することは、
保守主義者の統制の武器となった。
部分の中間階級に対抗して、普通選挙権を導入したのが、
保守主義者の一人であるビスマルクだったのは偶然ではない。

保守主義派は、自由主義派と同様に、
絶対主義と官僚的改革者たちの近代的国家に反対した。
絶対主義は、臣民を水平化することを望み、
古来の特殊個別的で社団的な中間権力を排除し、中央集権化と官僚制化を進め、
君主とその奉仕者たちを、抽象的な国家の奉仕者たちに変える。
保守主義は、近代的な官憲国家と民主主義を、
すなわち、上からの絶対主義と、下からの絶対主義を、
平行現象とみるという独特な捉え方をする。
そして、国家が社会を「上からの革命」という規範の下に、
置こうとする場合には、保守主義者たちは反対する。
国家に対抗して、保守主義者たちは自由主義者たちと同様に、
国家権力を制限して「自由」を確保すること、それも法を通してそうすることを望む。
しかし、もちろん自由主義者たちの場合とはまったく異にする。
社団的・身分制的・地域的な諸団体と自治行政の権利を、
さらには既得権によって、支配を制限することが意図されているのである。
保守主義者にとっての自由とは、新しいものではなくて、
現存のものを守ることを意味し、法の平等と機会の平等ではなくて、
神が欲した不平等の下での自由のことである。
不平等に基づく身分制的な秩序が、官僚的国家から自由を守る。

以上のような方向性に属するものの一つが、ロマン主義的な保守主義である。

保守主義者は、他の人たち以上に、自分たちの価値や理念の全体を、
普遍的に妥当するもとのして提示するのが困難だった。
保守主義者の主張は、イデオロギーに過ぎないのではないかという、
嫌疑にさらされることになる。
保守主義者たちは、貴族の特権、王権、一部の官僚などの、
現状の維持に利害関心を持つ勢力だった。

近代化と市場化によって経済的な困難に陥った、
古い諸身分、農民や手工業者の一部も保守主義に含まれる。
さらには宗教の自由主義に反対する、プロテスタント正統派の人たちも含まれる。
1821年から刊行された『福音派教会新聞』は、
北ドイツの保守主義の一つの指導的な機関紙となった。