ニッパーダイを読みながら6

ロマンチックな恋愛は、物質的な重荷を負うことが少ない、
「上層」階級のみに限られた。
二人の出会いは、何かしら運命的なものであるのであり、
一目見ただけで陥った恋、運命の糸で結ばれた二人、
至上で絶対的なる恋、愛する人の完全無欠さ、大いなる情熱、エロチックな吸引力が加わる。

結婚は、「客観的」なもの、両親が環境や神によって相手を定めるものではなく、
「愛情」、自らの主観的な決断に基づくものとなったのである。

死は、キリスト教徒としての裁きと救済に目を向けた「私の死」としてではなく、
愛する代え難い家族の一員の死、「他者の死」「愛しい人」の死として経験される。
死は、公的な領域から私的な領域へ、
自然と神によって定められたものの甘受から、深い喪失感と取り残された悲しみへ、
儀式から、もはや形式化しえない哀悼へと移動する。
裁きと復活ではなく、天国で「再会」することが、新たな終末論の内容となるのである。
家族の各個人の墓が、ロマンチックに一か所にまとめられ、
墓石の前に、家族のメンバーが故人を偲びながら集まるという、
新しい墓地文化が浸透していたのである。

市民階層の妻は、以前よりも自由な立場を獲得する。
古典主義とロマン主義の理想のなかには、感情に対して敏感な側面があり、
例えば、家父長主義に比べれば、近代的な傾向を帯びている。
妻は以前よりもパートナーと見なされ、妻に配慮することが一つの新たな美徳とされた。
妻は、経済的な負担を軽減され、余暇が増え、教養が向上し、
会話のパートナーとして、役畜のように扱われたり、
母親としてだけ扱われたりするのではなくて、個人として扱われるようになった。
ロマン主義者たちは、女性の個体性を強調し、
散文的なシラーが、貞淑な「主婦」を理想としたことを嘲笑して、
まさに神秘的なまでに女性を賛美する。

1815年以降になると、教養の重視が、男女の区別を強調することにも繋がっていく。
なぜなら、職業と政治のために必要とされる男性の教養は、
若い女性に求められる教養とは異なるものだったからである。
新たな意味で、妻は夫に服従させられるのである。
この見解によれば、妻は内に向かって、家族のために生きるのであり、
世の中に乗り出すことはなく、夫のように「冷静な」合理性を持たず、
ナイーブで、あれこれ考えを巡らすことのない存在と見なされた。
細やかな愛情と心情、それを妻は家庭の中で実践するべきであるとされ、
家庭的、勤勉、清潔、柔和、従順、謙譲、平和的といった規範が生じたのである。

家庭と仕事の場が分かれていくにつれて、
夫は稼ぎ人となり、妻は「家庭」に専念するようになる。
このように、1800年頃の転換の後、
1815年以降に、新たな家父長制が成立することになる。

女性は「行き過ぎた女性化」「良家の子女」となって、
音楽・フランス語・演劇・文学・ピアノなどの余暇文化に向かった、
特殊女性的な教養を獲得することになる。

反抗という形をとって、市民的家族の体制の中から、女性解放が始まった。
ベルリンやウィーンのサロンに登場し、知的な要求を掲げながら、
男性と同等と認められる解放された女性が現れたのである。
1865年には最初のドイツ女性会議が開かれて、教育と仕事の解放が要求された。