ニッパーダイを読みながら2

後期絶対主義の段階になってもまだ、統一的な国家、政府は存在していなかった。
特定の担当分野、特定の州を扱う雑然とした上級行政機関があるだけだった。
共通の組織や情報を欠き、例えば財政の全体を見渡すことができなかったのである。
国王は個人的な助言者に取り囲まれ、決定を下した。
このような古風な体制に対して、官僚たちは抗議の声をあげていた。
上級行政機関に代わって、担当分野ごとに分けられた各省から成る内閣が設置され、
国王に対して直接責任を負った。

しかし貴族に矛先を向けた改革は失敗することもあった。
官僚的国家と農村部で成立しつつあった市民的=農民的社会との双方に対して、
地方での権力を握るユンカー(大土地所有貴族)の地位が確立されることとなるのである。

「物事を自分で処理することに国民を慣れさせ、子供のような状態から脱却させねばならない」
「公共の事柄への参画」を通して「公益への関心が強まるとともに、
国民の精神を高める公共活動の魅力が強まるのだ」
それぞれの個人がそのようにして自らの受け身の姿勢、
自らの利害や私的なエゴイズムを乗りこえ、国家を強化するべきであり、
ヨーロッパに古くから伝えられ、イギリスという模範、
すなわち、政治的秩序は単純に国家と個人とを対置させる上に成り立つのではなくて、
数多くの中間権力の上に成り立つのであって、まさに地方自治体こそがその基盤であって、
さらに、都市の自治行政は権力分立の原則に基づいており、
市議会など、官僚支配に対する反感が一定の役割を演じていた。

農民解放は、封建的、領主支配を解体した。
農民はそれまで領主に対して負っていた賦課金や賦役や義務から、解放されるはずであって、
農民は人格的な自由、農地の完全な所有権、自らの労働力を自由に用いる権利を獲得するとされた。
人道的な啓蒙主義とカントの厳格主義の意味において、
農民はもはや社会の奴隷として扱われるべきではなく、
人間としての権利と尊厳を認められるべきなのであって、
そして、そのことを通して彼らを粗野で無知な状態から脱却させるべきであると考えられた。

アダム・スミスの経済的自由主義は、農業にも多大な影響を与えた。
農地と労働力を自由に所有する者のみが生産的で、効率的であって、
賦役よりも賃労働のほうが、経済的なものだったのである。
農民を解放することだけが問題となっていたわけではなくて、
農場領主を経済外的な拘束から解放すること、
自由な労働者を創り出すことも問題になっていたのである。
大土地所有が最終的な勝利を収めていた当時の最も先進的な農業国である、
イングランドが、経済面での大いなる模範になっていた。
大規模農業は商業化されて、利潤を指向するようになった。
農場の売買によって貴族を隷農との家父長的な結びつきは解体され、
現物による賦役は、金甌に変えられた。

農民は自由に立ち去ったり、結婚できるようになって、
貴族も市民も農民も土地を購入、売却することができるようになって、
農民にも、職業選択の自由が導入された。

社会は、業績社会、職業社会となり、その成員の法的平等が導入された。
しかしこの法的平等は、所有に関する経済的な不平等が改装を形成する原理となった。
なぜなら、業績は財産を土台とするチャンスに左右されたからである。
改革に関しては、ユンカー(地主貴族)から反対された。
営業の自由は、リベラルな社会政策の守護神となった。