ニッパーダイを読みながら5
18世紀のドイツでは、近代的な家族という制度が成立する。
この革命的な変化は、まず市民階層から始まって実現する。
旧世界では、子供の死亡率が高く、結婚した相手の死亡率もかなり高い。
平均的な結婚期間は20年と短く、死が結婚期間を短縮しているのである。
孤児や再婚は当たり前のことであった。
結婚は、家を持つことと結びついており、市民層でも労働者層でも、
結婚する前に金を貯めなければならず、結婚年齢は比較的に高かった。
旧世界では、子供たちは14歳頃に奉公のために家を出た。
自宅では、奉公人や職人、すなわち下働きをし、ともに働き、修行している、
家族以外の人間が生活共同体としての「家族」に属していた。
このような家族は、生活共同体であると同時に、生産共同体でもあった。
もっとも、これらの家族の場合にも、核家族へと収束していく傾向があった。
すなわち、都市では老人や未婚者が外に出されていくようになり、
職人が、そして後では徒弟が、しだいに手工業者の所帯から離れていき、
大規模な農民のばあいでも、主人と奉公人が分かれて住むようになった。
農民や手工業者の家庭は「私的」なものとは言えず、
隣人や同業組合(ツンフト)仲間や牧師・司祭の目に晒されていた。
家族のあり方が社会的に監視されていたのである。
大都市が社会的な監視を緩めるようなってようやく、家族は私的で隔離された存在となった。
「市民的」で個人的な、新しい家族観を獲得するようになったのである。
配偶者の選択については、18世紀の後半以降、農民と手工業者の場合にも、
もはや親が一方的に決めるものではなくなった。
しかし、農民や手工業者の間では、ロマンチックな恋愛、個人的な愛情が、
結婚の動機として、特別な役割を果たすことはなかった。
実際的な能力があるか、財産があるか、世話をしてくれるか、
互いに折り合えるか、といった点が決定的な意味を持ったのである。
昔ながらの見解によれば、愛情は結婚の前にあるのではなくて、
結婚とともに愛情が芽生えてくるものとされた。
無秩序で不道徳な男女の出会いは、官僚たちから敵視され、
最終的には、学校と人びとの流動化と産業化によって、力を奪われていった。
結婚は、宗教的に、教会による結婚予告、祝別、教会記録簿への記載、
家族への祈祷を通して、是認された。
まさに結婚において、人は、キリスト教的な意味で生を成就させることになるのであった。
結婚は「感情」「愛情」に基づくものではなくて、社会的な「役目」であった。
家族の成員間の関係は、冷淡で距離を置いたものであり、
現代人の目から見れば、硬直してぎこちないものであった。
ルター以来、ロマンチックではないけれども、心を通わせる夫婦愛、
「喜ばしく」て「甘味」な結婚という、牧歌的なイメージについての、
教会の教えが付け加わって、近代的で主観的な愛が制度化されていくこととなる。
都市部では、1800年頃から小市民の間でも、夫婦の感情的な結びつきが強まっていく。
しかし、両性間の関係は完全に家父長制的であり、
夫=父親の権威はゆるぎなく確立されていた。
子供たちとの関係は、非情緒的、規律と服従、労働と殴打によって規定される。
農民が学校に抵抗するのは、国家に対して、親としての権威を主張しようとするためである。
とは言え「市民的」な家庭生活によって、親として子供に責任がある、
例えば学校や職業訓練に関して責任がある、という意識が高まるようになるのである。
伝統的な家族は、プライバシーを許さない。
両親・子供・若者・奉公人が、一緒になって寝るのを批判されるようになったのは、
市民的モラルが次第に浸透するようになってからである。
19世紀において「近代的」な家族が支配的なタイプとなり、生産と労働が、家から分離される。
技術の進歩は、主婦の負担を軽減するようになった。
家族は、消費共同体となっていく。
近代化は、人間の社会的な地位が、家族の外に、生まれと身分の外に移されて、
個人として獲得されるという事態をもたらした。
家族は「私的」なもの、地方自治体とは離れて、自分たちだけの内的空間となった。
例えば、祭りは公共的な特徴を失って、家族の祭りとなる。
結婚、洗礼、埋葬がそうである。
クリスマスは19世紀の前半から、特別に家庭で祝われるものとなる。
この革命的な変化は、まず市民階層から始まって実現する。
旧世界では、子供の死亡率が高く、結婚した相手の死亡率もかなり高い。
平均的な結婚期間は20年と短く、死が結婚期間を短縮しているのである。
孤児や再婚は当たり前のことであった。
結婚は、家を持つことと結びついており、市民層でも労働者層でも、
結婚する前に金を貯めなければならず、結婚年齢は比較的に高かった。
旧世界では、子供たちは14歳頃に奉公のために家を出た。
自宅では、奉公人や職人、すなわち下働きをし、ともに働き、修行している、
家族以外の人間が生活共同体としての「家族」に属していた。
このような家族は、生活共同体であると同時に、生産共同体でもあった。
もっとも、これらの家族の場合にも、核家族へと収束していく傾向があった。
すなわち、都市では老人や未婚者が外に出されていくようになり、
職人が、そして後では徒弟が、しだいに手工業者の所帯から離れていき、
大規模な農民のばあいでも、主人と奉公人が分かれて住むようになった。
農民や手工業者の家庭は「私的」なものとは言えず、
隣人や同業組合(ツンフト)仲間や牧師・司祭の目に晒されていた。
家族のあり方が社会的に監視されていたのである。
大都市が社会的な監視を緩めるようなってようやく、家族は私的で隔離された存在となった。
「市民的」で個人的な、新しい家族観を獲得するようになったのである。
配偶者の選択については、18世紀の後半以降、農民と手工業者の場合にも、
もはや親が一方的に決めるものではなくなった。
しかし、農民や手工業者の間では、ロマンチックな恋愛、個人的な愛情が、
結婚の動機として、特別な役割を果たすことはなかった。
実際的な能力があるか、財産があるか、世話をしてくれるか、
互いに折り合えるか、といった点が決定的な意味を持ったのである。
昔ながらの見解によれば、愛情は結婚の前にあるのではなくて、
結婚とともに愛情が芽生えてくるものとされた。
無秩序で不道徳な男女の出会いは、官僚たちから敵視され、
最終的には、学校と人びとの流動化と産業化によって、力を奪われていった。
結婚は、宗教的に、教会による結婚予告、祝別、教会記録簿への記載、
家族への祈祷を通して、是認された。
まさに結婚において、人は、キリスト教的な意味で生を成就させることになるのであった。
結婚は「感情」「愛情」に基づくものではなくて、社会的な「役目」であった。
家族の成員間の関係は、冷淡で距離を置いたものであり、
現代人の目から見れば、硬直してぎこちないものであった。
ルター以来、ロマンチックではないけれども、心を通わせる夫婦愛、
「喜ばしく」て「甘味」な結婚という、牧歌的なイメージについての、
教会の教えが付け加わって、近代的で主観的な愛が制度化されていくこととなる。
都市部では、1800年頃から小市民の間でも、夫婦の感情的な結びつきが強まっていく。
しかし、両性間の関係は完全に家父長制的であり、
夫=父親の権威はゆるぎなく確立されていた。
子供たちとの関係は、非情緒的、規律と服従、労働と殴打によって規定される。
農民が学校に抵抗するのは、国家に対して、親としての権威を主張しようとするためである。
とは言え「市民的」な家庭生活によって、親として子供に責任がある、
例えば学校や職業訓練に関して責任がある、という意識が高まるようになるのである。
伝統的な家族は、プライバシーを許さない。
両親・子供・若者・奉公人が、一緒になって寝るのを批判されるようになったのは、
市民的モラルが次第に浸透するようになってからである。
19世紀において「近代的」な家族が支配的なタイプとなり、生産と労働が、家から分離される。
技術の進歩は、主婦の負担を軽減するようになった。
家族は、消費共同体となっていく。
近代化は、人間の社会的な地位が、家族の外に、生まれと身分の外に移されて、
個人として獲得されるという事態をもたらした。
家族は「私的」なもの、地方自治体とは離れて、自分たちだけの内的空間となった。
例えば、祭りは公共的な特徴を失って、家族の祭りとなる。
結婚、洗礼、埋葬がそうである。
クリスマスは19世紀の前半から、特別に家庭で祝われるものとなる。