ブルジョアジーによる搾取

15、16世紀には、地理的大発見と植民地開拓と恒常的金欠に悩む、
王制の財政的措置に刺激されて、
ブルジョアジーが資本主義の発展とリズムを共にしながら飛躍の道を辿り、
18世紀になると、金融と商業・工業の先頭に立って、
国家の前進と行政に必要な資金を王政府に提供するまでになる。

そのなかで貴族階級の役割は絶え間なく縮小していったが、
それでも彼らが社会的ヒエラルキーの第一位にあることは変わりなかった。
しかし、貴族階級がカーストのなかで硬直化していったのに対し、
ブルジョアジーは、数においても、経済力と文化や知識においても重要性を増し、
そうした社会的・経済的現実を背景に野心を増大させていったから、
法と制度の運用に携わる貴族階級と必然的に真っ向からぶつかりあった。

フランスにとって19世紀はじめは、勝ち誇るブルジョアジーの時代であり、
名士たちは『国家』を自分たちの法を尊重させるために作られた、
いわば『ブルジョアジーの特典』の防壁のように考えた。

ブルジョアたちは、自由競争の資本主義に乗って、
良心の咎めも後ろめたさもないまま、庶民階層からの搾取の上に自らの富を築く。
田舎の日雇労働者や小作人、土地を持たない小農民、さらには工房の職人や、
生まれつつあった大工業の労働者にとって、
生活は18世紀の父親たちのそれよりも悪くなっていた。
工場の労働者にとって「生きるとは、死なないでいることだ」。

プルードンは「私有財産━それは盗品に他ならない」と書く。

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