司祭と世俗教師の対立
フランスの「19世紀には原則として、農民や労働者の子供と、
弁護士や医者の子供がともに学ぶことも、
男女が同じ場所で同じ教育を受けることも想定されていなかった。
19世紀のフランスは、子供の教育の指導権をめぐって、
カトリック教会と国家の間でヘゲモニー(覇権)争いが起こった時代である。
時代をさかのぼって、フランス革命以前に子供の教育に関して、
強い影響力をもっていたのはカトリック教会であった。
非キリスト教化を推し進めたフランス革命により状況が変わったとはいえ、
19世紀には再び教会の威信の回復を望む勢力があり、
信者を改めて獲得するため学校を利用しようとした。
他方で、革命を継承しなければならないと考える人びとは、
教会の影響力の拡大を警戒し、聖職者ではなく、
世俗の教師による公教育の普及に努めようとした。
女子教育についてナポレオンは、
『私は、若い娘の教育に国家が取り組むべきだとは思わない。
娘をよりよく育てられるのは母親しかいない。…
信心深い女性を育ててください。理屈っぽい女性ではなく』と述べた。
女性は慎ましく、信心深く、よき妻・母になるための教育を受けるのが理想であった。
女性教師として、修道女に白羽の矢が立ったのは不思議ではなかろう。
ナポレオン治世下の1804~1813年に認可された女子修道会は、95を数えた。
弁護士や医者の子供がともに学ぶことも、
男女が同じ場所で同じ教育を受けることも想定されていなかった。
19世紀のフランスは、子供の教育の指導権をめぐって、
カトリック教会と国家の間でヘゲモニー(覇権)争いが起こった時代である。
時代をさかのぼって、フランス革命以前に子供の教育に関して、
強い影響力をもっていたのはカトリック教会であった。
非キリスト教化を推し進めたフランス革命により状況が変わったとはいえ、
19世紀には再び教会の威信の回復を望む勢力があり、
信者を改めて獲得するため学校を利用しようとした。
他方で、革命を継承しなければならないと考える人びとは、
教会の影響力の拡大を警戒し、聖職者ではなく、
世俗の教師による公教育の普及に努めようとした。
女子教育についてナポレオンは、
『私は、若い娘の教育に国家が取り組むべきだとは思わない。
娘をよりよく育てられるのは母親しかいない。…
信心深い女性を育ててください。理屈っぽい女性ではなく』と述べた。
女性は慎ましく、信心深く、よき妻・母になるための教育を受けるのが理想であった。
女性教師として、修道女に白羽の矢が立ったのは不思議ではなかろう。
ナポレオン治世下の1804~1813年に認可された女子修道会は、95を数えた。