十八史略の人物学より(某病院雑誌未発表分)
「わが政治に節度がなく、みだれていいるからであろうか。民が職を失い
露頭に迷っているからであろうか。
自分の住んでいる宮殿が立派すぎるからであろうか。
女の内奏うがさかんで政治の公明さがうしなわれているからであろうか。
賄賂が横行し、正道を害しているからであろうか。
讒言がまかり通って、賢者が退けられているからであろうか」
湯王は六つのことを挙げて自分を責めている。
政治は、権力と組織と離れることのできない関係にある。
人間の持つ願望のうちで、最も深刻なのが権力欲である。
酒や金に対する欲望などは、権力欲に比べれば、まだかわいいものである。
人が人を支配する欲望…これにとっつかれると、人間は一変して、汚職もやれば、賄賂もやる。
ときには骨肉をも平気で犠牲にする。
しかし、この反面、人間は、この権力を天から授かったものと考え、
己を空しくして、祖国や同胞のために尽くすという理想主義精神をも発達せしめた。
その何れの精神をもった人物が政治を担当するかによって、国民の禍福が分かれることは言うまでもない。
明の呂新吾が、大臣を6つにわけて評価している。
第一等の大臣は、私心や作意というものが全くない。
あたかも人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないのと同じように、
何とはなしに人々を幸福にし、禍はいまだ来たらざるうちに消してしまう。
といって、すごく頭が切れるとか、勇気がある人だとかという評判や、
大変、華々しい手柄をたてたというようなこともなく、知らず知らずのうちに人民がそのお陰を受ける。
とにかく、いるかいないのか、わからないような存在でいながら、人民に無事太平を楽しませている。
…第二等の大臣は、いかにもしっかりしていて、テキパキと問題に取りくんでゆく。
剛直、直言、まっすぐに堂々と本当のことが議論できる。
したがって、やや、叡知や気概が露われて、ときには物議をかもしたり、反発や抵抗を招く。
しかしいかなる障害があろうとも、敢然として、主張すべきは主張し、
やるべきことはどしどしやってのける人物である。
…第三等の大臣は、ひたすら事なかれ主義である。悪いことはもちろんやらないが、
といって善いことも進んでやらない安全第一主義の大臣で、
人間的な面白みは全くないが、安全なことは、まあ間違いない。
…第四等の大臣はとくに私利私欲をほしいままにして悪いことをするというのではないが、
とにかく、自分の地位、身分、俸禄を守るのに汲々としている人物。
口さきでは、天下だの、国家だの、人民だなどと言うけれども、
実際は自分のことしか頭にないのである。
…第五等の大臣は、情勢に便乗して、野望を逞しくし、
自分に与する人間だけを用い、そうでない人間を排斥する。
我欲、私心の塊で、公儀を無視し、国政を乱して、いっこうにはばからない。
この大臣は孔子の次のような発言のような五悪であろう。
1、万事に細心で手ぬかりがなく、表面は何くわぬ顔のポーカーフェイスで、
極めて陰険な恐ろしい手を打ってくる。
2、ひとつひとつ、やることが不公平で、僻していながら、
表面だけはうまくとりつくろって公正を装い、いかにもしっかりとしている。
3、最初から最後まで嘘八百を並べたてているのに、いかにも弁がたって、真実らしく聞こえる。
4、極悪非道の人間のくせに、いや、極悪非道なるが故にと言うべきかもしれない、
ものごとを克明に記憶していて、おまけに博覧強記である。
5、あくどいことをやる反面、多くの人に恩恵を施し、その連中からは善人みたいに言われている。
…第六等の大臣は、自分の野望をほしいままにし、
天下に動乱をおこす破壊的人物。これが最下等の大臣である。
ウの時代に画期的な発明がなされた。この世に初めて、米による酒がつくられたのである。
作ったのは家来のギテキという人物。ある日、水にひたされた米から、
芳醇甘美、何ともいわれぬいい匂いがただよいだした。驚いたギテキが蓋をとって、
なめてみたところ、いまだかつて味わったこともない、すばらしいうまさだ。
「こんなにうまいものが天下にあったとは……」と思っているうちに、
何か、いい気持になって、トロリとしてきた。
しかし、「何はともあれ、ウさまにお飲みいただこう」とこれを献上した。
ウは茶碗にうけて、この濁酒をのみ、「何といううまさか」と驚嘆しながら、
一杯また一杯と傾けていくうちに、陶然として眠りこけてしまった。
やがて、酔がさめて、ハっと我にかえったウは自省の意をこめて、こう言った。
「これはあまりにうますぎる。こう美味では、後世、このために国を亡ぼすものがでるであろう」
そして、以後は絶対、この酒を口にしなかったし、
おまけに酒をもってきたギテキまで遠ざけてしまった。
…中国には「水を治むる者は天下を治むる」という諺があるように、
黄河の氾濫にいつも悩まされていたが、その黄河の治水に初めて成功したのがウである。
ウはひととなり勤勉で機敏かつ聡明、仁愛の心深く、民に信頼され、親しまれ、
声はおのずから音律にあい、動作はおのずから法にかない、自分を抑えることを知り、
倦むことを知らず、と『史記』に書きのこされているところをみると、天来の人の鑑であったのだろう。
孔子ですらも「ウには、非難すべき一点のすきまもない」と称賛したくらいである。
…ある日、ウは、大勢の者が一人の男をひっつかまえて喚きたてているのに出あった。
近寄って、わけを聞くと、稗を盗んだためにつかまったのだった。ウがその男の前に立つと、
男は涙ながらに自分の家の窮状を訴え、かつ自分の非行を詫びて、ウの裁きを神妙に待った。
と、どうしたことだろう。ウはその男の手をとって、ハラハラと涙を流した。
ことの意外に驚いたのは、当の男だけではない。まわりの者たちも、
またウの近侍たちもあっけにとられた。
やがて近侍の一人がおそるおそる進み出て「いかがなされましたか、天子さま?」ときくと、
ウは「尭帝や舜帝が天子であらせられたときは、民はみな天子の御心を心としていた。
ところが、わたしが天子であるいま、民たちはそれぞれの心を心を心とし、
私利私欲にとらわれている。わたしの徳が至らぬからだ」と言った。
それを聞いた件の男は一段とすすり泣き、いならむ者らもみな感泣したという。
そういうウだから、酒を遠ざけたのもわかるような気がする。
とある銀行の総裁は、部下に酒の接待は受けてもいい、という決まりを作っていた。
部下が総裁の友人のところで、酒をご馳走になって帰ってきた。
しかし、どう検討してみても無理なので、調書を書いて、融資を断った。
ところが、むこうは総裁の友人だし、貸してくれるのが当たり前だと思っているから、
早速、銀行へ文句を言いにきた。そのころの鑑定課長がむこうから次のように言われた。
「お宅の審査担当者は酒色を強要しておいて、そのあげくに融資を断った」と。
こういう場合は、たいてい、「じゃ、その件はひとつ調べておきましょう」
とお茶を濁しておくのが普通のさばきかたなんです。
それを鑑定課長は、いきなり立ち上がって、相手の社長のネクタイをつかんで締め上げ、
「おれの部下にはそんな奴は一人もいない。貴様、この場で今の一言を取り消せ!
さもないとこのまま落としてしまうぞ!とどなられたんです。
鑑定課長は大きな身体をしていても、腕力ははそんなに強くないんですよ(笑)。
その情景を審査にいった当人たちが見るでしょう。感激しますよね。
勢い、鑑定課長のためなら身体を張ろうということになります。
部下を喜んで死地に赴かしめるのが名将たるの一つの資格です。
しかし、そのためには、いつでも自分が部下のために身を投げ出せる覚悟をもっていないといけません。
そこのところが肝心なんです。
足利尊氏は、初めて戦場に出たときにも、恐怖に陥らなかった。
これは武将としては並々ならぬ素質である。
なぜならば、たとえば、海戦で敵の砲弾がどこかへ命中し、炸裂すると、
水兵たちは一斉に館長の顔色を見る。そのとき、館長が微動だにせず、敵艦をにらんでおれば、
水兵たちは再び勇を鼓して戦うが、もし、ここで館長があわてふためいたら、
館内は混乱に陥り、当然、勝てるはずの戦が負け戦になってしまうからだ。
足利尊氏はまた「吝しなかった」。自分自身は質素倹約を旨として、
つつましやかな生活を送っているが、人にはそれを強制しない。
これを愛という。
そして、自分もつつましい生活をしているが、人にもそれをやらせる。これを「倹」という。
もっとも程度の悪いのは、自分は贅沢三昧をしているのに人には倹約を強いる。
これを「吝」という。この「吝」ということが、いかに人間を駄目にし、
仕事を駄目にするか、ということを孔子も指摘している。
中国の周の政治家、周公旦(賢人として孔子が最も尊敬していた)ほどの才能と魅力があっても、
人を侮る気持ちがあっては、有為の人材は、その人のために力尽くさぬだろうし、
また、物を「吝」んで、与えるべきものを与えないようでは、民衆は決して働かぬだろうから、
たいしたことはできない。足利尊氏は、えこひいきをしなかった。
自分の感情を完全に意志の統制下におくことは非常にむつかしい。
古来、誰彼の差別なく同じように愛することは、王者の態度、と言われる所以である。
足利尊氏は、いかに泥酔しても、家へ帰ったら、必ず、座禅を組んで、
無念夢想の一時をもたねば絶対に寝につかなかった。
「そんなこと簡単だ」と思う向きがあったら、それは凡人の未熟さである。
試しに実験してみるがいい。座禅のまま眠り込んでしまったり、
あるいは坐っているのが辛くて、途中でやめてしまう。
だが、それでも頑張っているうちに、一か月も続けていると不思議な現象が起こってくる。
かなりの酩酊にかかわらず、座禅の場に足を踏み入れた途端に酔いがすうっと醒めてしまうのだ。
暴虐の代名詞、殷の紂王はもともとそれほど暗愚ではなかった。
周公旦はいかに紂王を亡ぼして、周の天下にするかという謀略をめぐらした。
周公旦は美女の娘をひきとり、その娘に幼いころから仕込んだのは、男心をとろかす術であった。
もちろん男といっても、好みに個人差があるし、性格も違うが、
周公旦は天下の主、殷の紂王に的を絞ったのである。
やがて娘は成熟し「妲己」と呼ばれるようになった。
紂王が女からどんなふうにされると悦ぶか、どんなことを嫌うか、ウィーク・ポイントはどこにあるか、
起居衣服飲食など、生活の細かい習慣、嗜好などの調査をずうっと続け、
それにもとづいて美女をトレーニングし、「これで十分だ」と判断した。
周公旦は背後で糸をひき、妲己を紂王に献上させた。紂王は妲己を得て狂喜した。
紂王は気性が激しいので、好き嫌いも激しかった。
それどころか、同じことに対しても時と場所と虫の居所によって、
まるで違った反応を示すことが多かったが、そんな感情の複雑な起伏の襞のすみずみの裏側まで、
妲己はぴったりとはりつくようにして、ついてゆくことができた。
紂王は生まれて初めて、他人と一体になる感じを経験した。
自分の望むことは妲己の望むのと同じで、嫌う対象もまた同じであった。
やがて妲己が言った。「もっと心をとろけさせる音楽をつくらせましょう」
あたかも紂王が、これまでの宮廷の音楽に不満をもち始めたところであった。
「わが心の底で考えつき、それをまた表面へ取りだせないでいるとき、妲己は傍からくみ取ってくれるのだ」。
そんな妲己が紂王はいとおしくてたまらない。紂王は直ちに官能的な音楽をつくらせた。
中国では古来から「モラルの面でも万民の手本で泣ければならぬ」という思想がある。
淫らな音楽をつくったことによって、人々は眉をしかめ、紂王から離れていった。
ついで「天下の主は、天下の富を全部集めなければ」と妲己がささやいた。
そう言われれば、紂王も、富の集め方が足りない、という気がして、税金を重くし、
金庫と穀倉をいっぱいにし、民間にある珍物は見つけしだいに没収した。
やがて、これらの淫楽、暴虐は「酒池肉林」に発展し、
ついには「炮烙の刑」を楽しむというサディズムにまで変貌し、殷王室の権威は、しだいに傾いてくる。
紂王の叔父が意見を述べた。ところが妲己が紂王の傍にいて「この人は聖人なんでしょ?」ときいた。
「ふん、世の中ではそう言っているがね」紂王が冷笑して答えると、
「あたし、聖人の内臓には七つの穴があると聞きましたけれど……」
妲己の目には獣のような怪しい光があった。それは紂王の目にも映っていた。
「調べてみようか……七つの穴があるかどうか。はたして、本当の聖人であるか、どうか」
「どうぞ、存分に」叔父は絶望して言った。叔父は殺されて解剖された。
周公旦は兵を率いて、殷を討った。紂王は敗北し、自決した。
妲己が周公旦の面前にひきすえられると、「これでいいのですね。あたし、立派に勤めましたでしょ」
周公旦は愕然とした。女に訓練を施しはしたが、その任務については教えていなかった。
教えられなくても、彼女の生地そのままで、殷を滅ぼす武器になると思ったからだ。
周公旦は妲己を殺したが、一人の女の運命をもてあそんだ、ということで、さすがに後味が悪かったに違いない。
露頭に迷っているからであろうか。
自分の住んでいる宮殿が立派すぎるからであろうか。
女の内奏うがさかんで政治の公明さがうしなわれているからであろうか。
賄賂が横行し、正道を害しているからであろうか。
讒言がまかり通って、賢者が退けられているからであろうか」
湯王は六つのことを挙げて自分を責めている。
政治は、権力と組織と離れることのできない関係にある。
人間の持つ願望のうちで、最も深刻なのが権力欲である。
酒や金に対する欲望などは、権力欲に比べれば、まだかわいいものである。
人が人を支配する欲望…これにとっつかれると、人間は一変して、汚職もやれば、賄賂もやる。
ときには骨肉をも平気で犠牲にする。
しかし、この反面、人間は、この権力を天から授かったものと考え、
己を空しくして、祖国や同胞のために尽くすという理想主義精神をも発達せしめた。
その何れの精神をもった人物が政治を担当するかによって、国民の禍福が分かれることは言うまでもない。
明の呂新吾が、大臣を6つにわけて評価している。
第一等の大臣は、私心や作意というものが全くない。
あたかも人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないのと同じように、
何とはなしに人々を幸福にし、禍はいまだ来たらざるうちに消してしまう。
といって、すごく頭が切れるとか、勇気がある人だとかという評判や、
大変、華々しい手柄をたてたというようなこともなく、知らず知らずのうちに人民がそのお陰を受ける。
とにかく、いるかいないのか、わからないような存在でいながら、人民に無事太平を楽しませている。
…第二等の大臣は、いかにもしっかりしていて、テキパキと問題に取りくんでゆく。
剛直、直言、まっすぐに堂々と本当のことが議論できる。
したがって、やや、叡知や気概が露われて、ときには物議をかもしたり、反発や抵抗を招く。
しかしいかなる障害があろうとも、敢然として、主張すべきは主張し、
やるべきことはどしどしやってのける人物である。
…第三等の大臣は、ひたすら事なかれ主義である。悪いことはもちろんやらないが、
といって善いことも進んでやらない安全第一主義の大臣で、
人間的な面白みは全くないが、安全なことは、まあ間違いない。
…第四等の大臣はとくに私利私欲をほしいままにして悪いことをするというのではないが、
とにかく、自分の地位、身分、俸禄を守るのに汲々としている人物。
口さきでは、天下だの、国家だの、人民だなどと言うけれども、
実際は自分のことしか頭にないのである。
…第五等の大臣は、情勢に便乗して、野望を逞しくし、
自分に与する人間だけを用い、そうでない人間を排斥する。
我欲、私心の塊で、公儀を無視し、国政を乱して、いっこうにはばからない。
この大臣は孔子の次のような発言のような五悪であろう。
1、万事に細心で手ぬかりがなく、表面は何くわぬ顔のポーカーフェイスで、
極めて陰険な恐ろしい手を打ってくる。
2、ひとつひとつ、やることが不公平で、僻していながら、
表面だけはうまくとりつくろって公正を装い、いかにもしっかりとしている。
3、最初から最後まで嘘八百を並べたてているのに、いかにも弁がたって、真実らしく聞こえる。
4、極悪非道の人間のくせに、いや、極悪非道なるが故にと言うべきかもしれない、
ものごとを克明に記憶していて、おまけに博覧強記である。
5、あくどいことをやる反面、多くの人に恩恵を施し、その連中からは善人みたいに言われている。
…第六等の大臣は、自分の野望をほしいままにし、
天下に動乱をおこす破壊的人物。これが最下等の大臣である。
ウの時代に画期的な発明がなされた。この世に初めて、米による酒がつくられたのである。
作ったのは家来のギテキという人物。ある日、水にひたされた米から、
芳醇甘美、何ともいわれぬいい匂いがただよいだした。驚いたギテキが蓋をとって、
なめてみたところ、いまだかつて味わったこともない、すばらしいうまさだ。
「こんなにうまいものが天下にあったとは……」と思っているうちに、
何か、いい気持になって、トロリとしてきた。
しかし、「何はともあれ、ウさまにお飲みいただこう」とこれを献上した。
ウは茶碗にうけて、この濁酒をのみ、「何といううまさか」と驚嘆しながら、
一杯また一杯と傾けていくうちに、陶然として眠りこけてしまった。
やがて、酔がさめて、ハっと我にかえったウは自省の意をこめて、こう言った。
「これはあまりにうますぎる。こう美味では、後世、このために国を亡ぼすものがでるであろう」
そして、以後は絶対、この酒を口にしなかったし、
おまけに酒をもってきたギテキまで遠ざけてしまった。
…中国には「水を治むる者は天下を治むる」という諺があるように、
黄河の氾濫にいつも悩まされていたが、その黄河の治水に初めて成功したのがウである。
ウはひととなり勤勉で機敏かつ聡明、仁愛の心深く、民に信頼され、親しまれ、
声はおのずから音律にあい、動作はおのずから法にかない、自分を抑えることを知り、
倦むことを知らず、と『史記』に書きのこされているところをみると、天来の人の鑑であったのだろう。
孔子ですらも「ウには、非難すべき一点のすきまもない」と称賛したくらいである。
…ある日、ウは、大勢の者が一人の男をひっつかまえて喚きたてているのに出あった。
近寄って、わけを聞くと、稗を盗んだためにつかまったのだった。ウがその男の前に立つと、
男は涙ながらに自分の家の窮状を訴え、かつ自分の非行を詫びて、ウの裁きを神妙に待った。
と、どうしたことだろう。ウはその男の手をとって、ハラハラと涙を流した。
ことの意外に驚いたのは、当の男だけではない。まわりの者たちも、
またウの近侍たちもあっけにとられた。
やがて近侍の一人がおそるおそる進み出て「いかがなされましたか、天子さま?」ときくと、
ウは「尭帝や舜帝が天子であらせられたときは、民はみな天子の御心を心としていた。
ところが、わたしが天子であるいま、民たちはそれぞれの心を心を心とし、
私利私欲にとらわれている。わたしの徳が至らぬからだ」と言った。
それを聞いた件の男は一段とすすり泣き、いならむ者らもみな感泣したという。
そういうウだから、酒を遠ざけたのもわかるような気がする。
とある銀行の総裁は、部下に酒の接待は受けてもいい、という決まりを作っていた。
部下が総裁の友人のところで、酒をご馳走になって帰ってきた。
しかし、どう検討してみても無理なので、調書を書いて、融資を断った。
ところが、むこうは総裁の友人だし、貸してくれるのが当たり前だと思っているから、
早速、銀行へ文句を言いにきた。そのころの鑑定課長がむこうから次のように言われた。
「お宅の審査担当者は酒色を強要しておいて、そのあげくに融資を断った」と。
こういう場合は、たいてい、「じゃ、その件はひとつ調べておきましょう」
とお茶を濁しておくのが普通のさばきかたなんです。
それを鑑定課長は、いきなり立ち上がって、相手の社長のネクタイをつかんで締め上げ、
「おれの部下にはそんな奴は一人もいない。貴様、この場で今の一言を取り消せ!
さもないとこのまま落としてしまうぞ!とどなられたんです。
鑑定課長は大きな身体をしていても、腕力ははそんなに強くないんですよ(笑)。
その情景を審査にいった当人たちが見るでしょう。感激しますよね。
勢い、鑑定課長のためなら身体を張ろうということになります。
部下を喜んで死地に赴かしめるのが名将たるの一つの資格です。
しかし、そのためには、いつでも自分が部下のために身を投げ出せる覚悟をもっていないといけません。
そこのところが肝心なんです。
足利尊氏は、初めて戦場に出たときにも、恐怖に陥らなかった。
これは武将としては並々ならぬ素質である。
なぜならば、たとえば、海戦で敵の砲弾がどこかへ命中し、炸裂すると、
水兵たちは一斉に館長の顔色を見る。そのとき、館長が微動だにせず、敵艦をにらんでおれば、
水兵たちは再び勇を鼓して戦うが、もし、ここで館長があわてふためいたら、
館内は混乱に陥り、当然、勝てるはずの戦が負け戦になってしまうからだ。
足利尊氏はまた「吝しなかった」。自分自身は質素倹約を旨として、
つつましやかな生活を送っているが、人にはそれを強制しない。
これを愛という。
そして、自分もつつましい生活をしているが、人にもそれをやらせる。これを「倹」という。
もっとも程度の悪いのは、自分は贅沢三昧をしているのに人には倹約を強いる。
これを「吝」という。この「吝」ということが、いかに人間を駄目にし、
仕事を駄目にするか、ということを孔子も指摘している。
中国の周の政治家、周公旦(賢人として孔子が最も尊敬していた)ほどの才能と魅力があっても、
人を侮る気持ちがあっては、有為の人材は、その人のために力尽くさぬだろうし、
また、物を「吝」んで、与えるべきものを与えないようでは、民衆は決して働かぬだろうから、
たいしたことはできない。足利尊氏は、えこひいきをしなかった。
自分の感情を完全に意志の統制下におくことは非常にむつかしい。
古来、誰彼の差別なく同じように愛することは、王者の態度、と言われる所以である。
足利尊氏は、いかに泥酔しても、家へ帰ったら、必ず、座禅を組んで、
無念夢想の一時をもたねば絶対に寝につかなかった。
「そんなこと簡単だ」と思う向きがあったら、それは凡人の未熟さである。
試しに実験してみるがいい。座禅のまま眠り込んでしまったり、
あるいは坐っているのが辛くて、途中でやめてしまう。
だが、それでも頑張っているうちに、一か月も続けていると不思議な現象が起こってくる。
かなりの酩酊にかかわらず、座禅の場に足を踏み入れた途端に酔いがすうっと醒めてしまうのだ。
暴虐の代名詞、殷の紂王はもともとそれほど暗愚ではなかった。
周公旦はいかに紂王を亡ぼして、周の天下にするかという謀略をめぐらした。
周公旦は美女の娘をひきとり、その娘に幼いころから仕込んだのは、男心をとろかす術であった。
もちろん男といっても、好みに個人差があるし、性格も違うが、
周公旦は天下の主、殷の紂王に的を絞ったのである。
やがて娘は成熟し「妲己」と呼ばれるようになった。
紂王が女からどんなふうにされると悦ぶか、どんなことを嫌うか、ウィーク・ポイントはどこにあるか、
起居衣服飲食など、生活の細かい習慣、嗜好などの調査をずうっと続け、
それにもとづいて美女をトレーニングし、「これで十分だ」と判断した。
周公旦は背後で糸をひき、妲己を紂王に献上させた。紂王は妲己を得て狂喜した。
紂王は気性が激しいので、好き嫌いも激しかった。
それどころか、同じことに対しても時と場所と虫の居所によって、
まるで違った反応を示すことが多かったが、そんな感情の複雑な起伏の襞のすみずみの裏側まで、
妲己はぴったりとはりつくようにして、ついてゆくことができた。
紂王は生まれて初めて、他人と一体になる感じを経験した。
自分の望むことは妲己の望むのと同じで、嫌う対象もまた同じであった。
やがて妲己が言った。「もっと心をとろけさせる音楽をつくらせましょう」
あたかも紂王が、これまでの宮廷の音楽に不満をもち始めたところであった。
「わが心の底で考えつき、それをまた表面へ取りだせないでいるとき、妲己は傍からくみ取ってくれるのだ」。
そんな妲己が紂王はいとおしくてたまらない。紂王は直ちに官能的な音楽をつくらせた。
中国では古来から「モラルの面でも万民の手本で泣ければならぬ」という思想がある。
淫らな音楽をつくったことによって、人々は眉をしかめ、紂王から離れていった。
ついで「天下の主は、天下の富を全部集めなければ」と妲己がささやいた。
そう言われれば、紂王も、富の集め方が足りない、という気がして、税金を重くし、
金庫と穀倉をいっぱいにし、民間にある珍物は見つけしだいに没収した。
やがて、これらの淫楽、暴虐は「酒池肉林」に発展し、
ついには「炮烙の刑」を楽しむというサディズムにまで変貌し、殷王室の権威は、しだいに傾いてくる。
紂王の叔父が意見を述べた。ところが妲己が紂王の傍にいて「この人は聖人なんでしょ?」ときいた。
「ふん、世の中ではそう言っているがね」紂王が冷笑して答えると、
「あたし、聖人の内臓には七つの穴があると聞きましたけれど……」
妲己の目には獣のような怪しい光があった。それは紂王の目にも映っていた。
「調べてみようか……七つの穴があるかどうか。はたして、本当の聖人であるか、どうか」
「どうぞ、存分に」叔父は絶望して言った。叔父は殺されて解剖された。
周公旦は兵を率いて、殷を討った。紂王は敗北し、自決した。
妲己が周公旦の面前にひきすえられると、「これでいいのですね。あたし、立派に勤めましたでしょ」
周公旦は愕然とした。女に訓練を施しはしたが、その任務については教えていなかった。
教えられなくても、彼女の生地そのままで、殷を滅ぼす武器になると思ったからだ。
周公旦は妲己を殺したが、一人の女の運命をもてあそんだ、ということで、さすがに後味が悪かったに違いない。