十八史略の人物学より7

孔子の孫の子思が戦国時代、衛公に仕え、
「コウヘンこそ武将として、大いに用うべき人材である」と推薦したが、
衛公は、なかなかその言葉を容れない。
理由は「コウヘンは、かつて役人をしていたとき、
人民に税を割り当てたついでに一軒から卵を二つずつ徴発して、自分のポケットに入れた。
そんなちょろまかしをやる人間を、将軍の要職につけるわけにはいかない」ということだった。
早速、子思は衛公にくいさがった。「聖人が人を用いるのは、あたかも大工が材木を扱うのと同じで、
その長所をとって短所を捨てる。柳や梓は、もともと良材である。
その良材が数かかえもある大きさであれば、たとい、数尺の腐った部分があっても、
名工は決して捨てたりはしないものだ。まして、大人物は多少の欠点があっても、これを捨ててはならない」
…今、世に時めいている人々は皆、難のうちどころがない。頭もよいし、才もある。
交渉も上手で、当たり障りもない。大して酒も飲まない。まことに整っているが、さっぱりうまみがない。
感激がない。可もなし、不可もなしという類である。
それより、何よりも欲しい男は、もっと手ごたえある男で、
こういう人物には凡人のもちえない短所もあるが、それがまた、えもいわれぬ魅力でもある。

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