新約聖書より2
『「目にはめを、歯には歯を」といえることあるを汝ら聴けり。
されど…悪しき者にてむかうな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。…
下衣を取らんとする者には、上着をも取らせよ。』
『なんぢら神と富とにかねつかうること能はず。』
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イエスは大金持ちの弟子に、全ての財産を、貧しい人びとに施しなさいと教えます。
地上の富ではなく、天国(神)に富を積めと。
しかしその弟子は、施すことができず、悲しんだとのことです。
『何を食べ、何を飲むか…何を着ようか…思いわずらうな。
空の鳥を見よ、種をまかず、刈らず、倉に収めず、然るになんぢらの天の父は、これを養いたまふ。』
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マックス・ウェーバーは、キリスト教プロテスタントと資本主義には、相関関係があると主張しています。
カトリックは、ある程度は、その日暮らしに近いらしい。
『栄華を極めたソロモンでさえ、その服装を、花ほどにも飾らなかった。』
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キリスト教は、ファッションとは、背反しています。
『イエス言葉にて霊を追い出し、病めるものをことごとくいやしたまへり。』
『彼は自ら我らの病気を受け、我らの病を負う。』
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イエスは、皮膚病、熱、悪鬼につかれた者を直します。
自然科学的ではない奇跡の問題は、新約聖書の難しいところの一つでしょう。
病を自ら負う、という発想は、十字架を背負うことの中心的な考えです。
十字架を交換して、互いの苦しみを分かちあう、という小説(罪と罰)もありますね。