カルヴァン派による都市の乗っ取り

プロテスタントの教会の壁は、白い石の地肌のままである。
すべてが収斂していく聖域の奥には、装飾を施した祭壇ではなく、
台所のテーブルのような粗末な木製のテーブルがあるだけである。
その上には十字架も燭台も聖なるパンを入れた聖櫃も載っていない。

知的活動に熱心なリヨンは、プロテスタントたちに対しても
とりわけ好意的であった。
プロテスタントたちは、1560年、即位したシャルル9世が幼く、
権力が弱体化したのに乗じて、ジュネーブと同じように、
リヨンの町を自分たちのものにしようとしたが、この陰謀は失敗し、
都市は厳しい監視下に置かれた。
それでもリヨンはカルヴァン主義者たちの避難所であった。

1561年、ふたたび暴動が起き、1562年には二つの教会が、
その守っている聖遺物ごと焼かれ、
新教徒の新しい礼式にしたがった説教と洗礼が行われはじめた。

国王がリヨンを「奪還」したのは1563年で、これ以降、
カトリックと新教徒のそれぞれ6人、計12人から成る助役たちによって、
統治されるようになる。

カトリックとは、
「人々の信仰の努力よりも秘蹟の儀式を重んじ、
仰々しい祭儀によって大衆の心を惹きつける宗教」である。

このブログの人気の投稿

国家と愛は正反対のものである

アルビジョア十字軍、アナーニ事件、アビニョン捕囚とノガレの関係

メロビング朝のカトリック