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十八史略の人物学より11

せっかく、知識や見識をもっていても、胆識がないと、優柔不断に陥ってしまう。 いうなれば、この「胆識」をもった人物が第一等のサムライであり、 「見識」を備えたのが第二等のサムライ、 ペラペラした「知識」だけが第三等のサムライとも分類できるのである。 漢の名宰相、蕭何が主流に収まっているうちは、仲の良くない曹参は、 「反主流の俺には用はない」と地方の知事か何かに出てくすぶっていた。 たまたま、山東地方の知事で、鳴かず飛ばずをきめこんでいたとき、「蕭何没す」の報が届いた。 すると曹参は、すぐ召使たちに上京の仕度を命じた。 「いったい何事でございますか?!」と妻がいぶかると、 「いや、何、蕭何が息をひきとるときに、 この俺を後任の宰相に推薦していったに違いないと思ってな」と答えた。 妻は驚いて、「そんな馬鹿なことは、よもやございますまい。蕭何さまとあなたとは、 人も知る犬猿の仲ではございませんか」と笑うと、それをジロリと見て、曹参がたしなめた。 「たしかに、お前の言う通り、仲はよくなかった。しかし、それはあくまでも個人的なことだ。 天下国家の公儀のこととなれば、後継宰相は俺をおいてないことを蕭何が一番知っとるんじゃ」 果たせるかな、一週間も経つと「後継宰相に命ず」という恵帝の使者が到着した。 …人間は生地のままの自分を人生にぶっつけてゆくよりしかたない。 「俺はこういう人間だ。愛せるなら愛してくれ!」 …白楽天の詩「増えたのは年功とともに増していった勲章の数々。 しかし、実事、つまり内容のほうはだんだん空っぽになって、 自分の周囲を取り巻いているものといったら、バカらしい虚事ばかり」 …いかに線の太い人物であっても、八十を過ぎれば、あと何年生きられるかと考えるだろう。 そして、それは同時に「死は何か?」を考えることである。いかに美しく老いるか、いかに美しく死に臨むか。