十八史略の人物学より8

秦王は趙王と約束して会合をもった。藺相如は趙王に従ってその会合に出た。
酒宴になったとき、秦王は「余興にシツ(楽器)をひいてくだされ」と趙王に申し入れた。
シツは遊女が座をとりもつために弾くものであるから、
それを趙王に弾け、というのは重大な侮辱だが、
「ここは我慢のしどころ」と趙王は甘んじてシツを弾いた。
おさまらないのは、趙王の側に侍っていた藺相如である。シツが終わるのをまちかねたように
「このおかえしに秦王どの自ら、缶をたたいて、秦の流行歌をうたわれし」と言うと、
秦王は「何を言うか」と一言のもとにはねつけた。
缶とは、酒や醤油をいれる土器で、
シツなどの高級な楽器がない秦の文化の低さを象徴するものだったから、断れるのは当たり前だった。
秦王が断わると同時に藺相如が怒号した。「秦王と藺相如との間はわずかに五歩の距離。
もし、応じられぬとあらば、わが首を斬って、血を秦王にそそぎかけることもできますぞ!」
つまり、秦王と刺しちがえて死にますぞ!とにじり寄ったのであった。
秦王はやむなく缶をたたいてうたった。
一国が侮辱を受けて、何もできぬのは、そのまま屈従を意味する。
藺相如は秦の圧力をはねのけて、趙の対面を保ったのだった。
こういう場合の応待辞令は気合と気合のやりとりである。

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