十八史略の人物学より4

「窮乏の友に友たるは、友の最も大なるものなり」とはプルダークの名言だが、
人間、調子のいいときだけが友人ではない。
一朝、事敗れて尾羽打ち枯らそうと、ときには間違って監獄へはいろうと、
「あいつだけは俺を信じていてくれる」という友人が一人でもいたら、
それだけで、この世は十分に生きる価値がある。
誰でも友だちというが、それを信用しているのはバカ者だ。
世に「忘年の交」という。老人は若い連中と交わって、その経験や学問を教え、
若いものは老人の歩いた足どりから何かを吸収し、
次の飛躍をめざすという文字通り「年を忘れ、齢を超越して、互いに心を許して交わること」である。
…隠居入道してからの最高の楽しみは、人を育てることだ。
…給料をもらっているからといって、そうそう、上役のご機嫌とりばかりはしないぞ。

いささかの酒を含みながら、古典を語り、人物を論ずるくらい楽しいことはない。
漢の高祖が、韓信と酒を飲みながら、諸将の将器について論じたとき、
韓信は一人一人を俎上にのせて明快に評価していった。
「某某は兵三万の将、某某はせいぜい五万までだが、なにがしは七万までは統率できましょう」
興にのった高祖は一膝のりだしてきいた。
「朕などは、どのくらいの兵の大将となれるだろうか」これはむつかしい質問である。
下手な返答をしたら首がとぶ。ところが韓信は平然と言ってのけた。
「陛下は十万の将たるに過ぎず」
むっとした高祖が「そういうお前さんはどうなんだい?」ときり返すと、
韓信は「私は二十万よりは三十万のほうが、五十万よりは百万のほうが、
とにかく多ければ多いほど、ますます、うまくやります」
高祖は不愉快さをかくそうともせず、とっさの切り札をぶつけた。
「兵が多ければ多いほどうまくやるというお前があ、
じゃ、どうして、わずか十万の将にすぎぬ朕のとりことなったのか」

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