十八史略の人物学より3

とある起業家がみすぼらしい六畳一間にいた。
どうして大金持ちが奥さんとこんな汚い部屋にいるのか、とたずねると、
「自分たちはいくら考えてみても、あまりに恵まれすぎている。
無我夢中で働いているうちに運勢に恵まれて、このように何一つ不自由のない身分になったが、
考えてみると、何だか恐ろしいみたいで、ひとつ厄払いをしようということで、
毎年ここへきて一か月間、この汚い部屋で厄を払っているのだ。」

ひとたび、よかろうと許し合ったら、地位や肩書にかかわりなく、
とことんまで相手を信ずるし、付き合う。イデオロギーなどは無関係だ。
その典型は管鮑貧時の交わりであろう。管仲が鮑叔と組んで商売をしたことがある。
儲けを分けるときに、管仲は鮑叔より余分にとったが、鮑叔は、
決して管仲を欲ばりとは思わなかった。理由は、管仲が貧しいことを知っていたからだ。
また管仲が、鮑叔のためによかれと計ったことが、かえって鮑叔を窮地に陥れてしまった。
しかし鮑叔は、管仲を、馬鹿な奴!と恨んだり、軽蔑したりはしなかった。
ものごとというもは、運の向いているときには、何をやってもうまくゆくものだが、
いったん風向きが変わって、時に利あらずとなると、どうあがいてみても、
うまくゆかぬことを知っていたからだ。
さらに、管仲は戦にでるたびに負けて逃げかえってきた。
だが、鮑叔は管仲を「卑怯者」よばわりは絶対にしなかった。
なぜならば、管仲には年老いた母がおり、管仲に万一のことがあれば、
孝養をつくすものがいなくなり、どんなに母が嘆き悲しむかを知っていたからである。

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