新約聖書より5

もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。

→砂漠でイナゴと草の根だけを食べながら、信仰を守る狂信者は、本当に奇跡を起こせるのではないか、
という主張を、ドストエフスキーは書いています。統合失調症の方の中には、超常現象を体験した人もいるのではないですか?

イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、
また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。
そして彼らに言われた、『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。
それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。

→不正に対しては、イエスも激しい言動を起こすのですね。
攻撃性の問題に関しては、サディズムが、キリスト教に対しての反対の立場をとっています。
浅田彰は、マルキー・ド・サド(作家、サディズムの語源)原作の、
パゾリーニ監督による映画「ソドムの市」を批評しています。
不正を正す態度と、他人の自由を奪うサディズムは別なんですね。
「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。」

地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。…
また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。

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