新約聖書より3

『〇もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、
下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。求める者には与え、借りようとする者を断るな。
〇『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われている。しかし敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
あなたがた自分を愛する者を愛したからとて、何の報いがあろうか。
〇空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。
それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなた方は彼らよりも、遥かに優れた者ではないか。なぜ、着物のことで思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
〇人を裁くな。自分が裁かれないためである。自分の目には梁があるのに、
どうして兄弟に向かって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。
〇何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。』

➡イエスが十字架にかかるのは、引用した聖書の断片を見てもわかるように、
生存原理を徹底的に否定したからかもしれません。あまりにも偽善と妥協しなかった。
狂信的宗教者はこの教えを守るとドストエフスキーは書いています。
この世の原理と背反する点で、発狂とキリスト教に関係はあるのだろうか。
マルチン・ルター(宗教改革者、プロテスタント)は、バチカン(カトリック)の教皇の豪勢な暮らしぶりを見て、幻滅しました。
ルターは現れた悪魔にインク瓶を投げつけたこともあります。
イエズス会の一人は、ルターが誇大妄想狂の精神異常者と判断しています。
イエスも、母と兄弟姉妹に発狂したと思われ、身内の者たちに取り押さえられそうになっています。
「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである。」

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