投稿

12月, 2018の投稿を表示しています

新約聖書より3

『〇もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、 下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。求める者には与え、借りようとする者を断るな。 〇『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われている。しかし敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 あなたがた自分を愛する者を愛したからとて、何の報いがあろうか。 〇空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。 それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。 あなた方は彼らよりも、遥かに優れた者ではないか。なぜ、着物のことで思いわずらうのか。 野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 〇人を裁くな。自分が裁かれないためである。自分の目には梁があるのに、 どうして兄弟に向かって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。 〇何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。』 ➡イエスが十字架にかかるのは、引用した聖書の断片を見てもわかるように、 生存原理を徹底的に否定したからかもしれません。あまりにも偽善と妥協しなかった。 狂信的宗教者はこの教えを守るとドストエフスキーは書いています。 この世の原理と背反する点で、発狂とキリスト教に関係はあるのだろうか。 マルチン・ルター(宗教改革者、プロテスタント)は、バチカン(カトリック)の教皇の豪勢な暮らしぶりを見て、幻滅しました。 ルターは現れた悪魔にインク瓶を投げつけたこともあります。 イエズス会の一人は、ルターが誇大妄想狂の精神異常者と判断しています。 イエスも、母と兄弟姉妹に発狂したと思われ、身内の者たちに取り押さえられそうになっています。 「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである。」