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十八史略の人物学より(某病院雑誌未発表分)

「わが政治に節度がなく、みだれていいるからであろうか。民が職を失い 露頭に迷っているからであろうか。 自分の住んでいる宮殿が立派すぎるからであろうか。 女の内奏うがさかんで政治の公明さがうしなわれているからであろうか。 賄賂が横行し、正道を害しているからであろうか。 讒言がまかり通って、賢者が退けられているからであろうか」 湯王は六つのことを挙げて自分を責めている。 政治は、権力と組織と離れることのできない関係にある。 人間の持つ願望のうちで、最も深刻なのが権力欲である。 酒や金に対する欲望などは、権力欲に比べれば、まだかわいいものである。 人が人を支配する欲望…これにとっつかれると、人間は一変して、汚職もやれば、賄賂もやる。 ときには骨肉をも平気で犠牲にする。 しかし、この反面、人間は、この権力を天から授かったものと考え、 己を空しくして、祖国や同胞のために尽くすという理想主義精神をも発達せしめた。 その何れの精神をもった人物が政治を担当するかによって、国民の禍福が分かれることは言うまでもない。 明の呂新吾が、大臣を6つにわけて評価している。 第一等の大臣は、私心や作意というものが全くない。 あたかも人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないのと同じように、 何とはなしに人々を幸福にし、禍はいまだ来たらざるうちに消してしまう。 といって、すごく頭が切れるとか、勇気がある人だとかという評判や、 大変、華々しい手柄をたてたというようなこともなく、知らず知らずのうちに人民がそのお陰を受ける。 とにかく、いるかいないのか、わからないような存在でいながら、人民に無事太平を楽しませている。 …第二等の大臣は、いかにもしっかりしていて、テキパキと問題に取りくんでゆく。 剛直、直言、まっすぐに堂々と本当のことが議論できる。 したがって、やや、叡知や気概が露われて、ときには物議をかもしたり、反発や抵抗を招く。 しかしいかなる障害があろうとも、敢然として、主張すべきは主張し、 やるべきことはどしどしやってのける人物である。 …第三等の大臣は、ひたすら事なかれ主義である。悪いことはもちろんやらないが、 といって善いことも進んでやらない安全第一主義の大臣で、 人間的な面白みは全くないが、安全なことは、まあ間違いない。 …第四等の大臣はとくに私利私欲をほしいままにして...