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十八史略の人物学より12

「なぜ、あなたは私がお好きなの」と聞かれて、「あなたは美しいから」と答えるのは愚答である。 また、こういう愚答を喜ぶような女性だったら、たいしたことはない。 「あなたが正直で清潔で美しいからだ」前の愚答よりはましだが、 妙な男の気どりがあって、女性をとろけさせすまではいかない。 「わたし、とてもとても好きなの。理由なんかないわ」 批判の働いている恋愛というものは、それだけで純粋ではなく、 純粋でない恋愛など、まだ恋愛とは言えない。恋は盲目であり、盲目だから美しいのだ。 「自分はここに残って西郷先生と行を共にする」 「かの人はまことに妙である。一日、かの人に接すれば、一日の愛生ず。 三日、かの人に接すれば、三日の愛生ず。しかれども予は接するの日を重ね、もはや去るべくもあらず、 今は、善悪を超えて、この上は、かの人と生死を共にするほかない」 孔子は学問的な鍛錬を欠く人間の必ず陥る偏向について、子路を戒めた。 「学問によって鍛錬されたことのない愛情、それは愚者の愛情である」 「断片的な知識だけを見につけて、腹にずんとおさまった哲学をもたぬと、 それは単なるものしりにすぎない」「学問を伴わぬ信義、それはヤクザの仁義にすぎない」 「単純率直が好きというだけで、いろいろな場合の適応を学ばぬと、 偏屈な正義感によって、人に自説を押しつけることになる」 プルタークは「シーザーの妻は一切の嫌疑をもたれてはならない」と言っている。 いつも賄賂がもち込まれるのは裏口であり、裏口をあずかるのは妻であるからだ。 そして、裏口が落ちたら、落城はもはや時間の問題である。 したがって、シーザーの妻は、たんなる噂をも恐れるほど潔癖でなければならないのである。