十八史略の人物学より6
「たしかに勧めました。だが、あのいくじなしめは、聞き入れませんでした。 だから、誅殺されたのです。もし、きゃつが拙者の計を用いておれば、 陛下も、ああ、やすやすとは奴を消せなかったでしょう」 傍若無人の言い方に激怒した劉邦は「煮殺してしまえ!」と叫ぶ。 「はっ」と答えて、左右がカイトウを引き立てようとすると、カイトウは大声で喚いた。 「ああ、さてもさても、おれは無実の罪で殺されるのか」 劉邦は、ますますいきりたって、「うぬは韓信に謀反を勧めたのじゃ。無実の罪とは何を言うかっ!」と叱りつけると、 カイトウは、今度は落ち着きはらって言った。 「しばらく、心を静めて聞かれい。始皇帝が死んで、秦の権威が衰えたとみるや、 山東地方は大いに乱れ、群雄割拠し、大変な騒ぎとなったことを、よもやお忘れではありますまい。 この英雄、俊傑たちが目ざしたところは皆一つ、秦の失政に乗じて、自ら天下を掌握したいということでござった。 かかる乱世には、早いもの勝ち、力の強い者勝ちで、誰が正当で、 誰が不正当であるかということは全くなかったはずでござる。 それはあたかも、一頭の鹿を多数の猟人がおうようなものでござった。 その場合、犬が、その主人以外の者に吠えつくのは当然のことでござる。 当時、拙者は韓信の家来で、陛下とは赤の他人でありました。 そういう拙者が、韓信に天下を取らせようと考えるのは、当たり前のことではござらんか。 そのころ、天下を取ろうと思った英雄、豪傑は陛下だけではなく、雲のわきあがるごとくあちこちにいました。 ただ、彼らは力及ばず、その野望が実現しなかっただけのことでござる。 その者ども全部を捕えて煮殺すことなど、とても出来る相談ではありますまい。 だから、拙者は無実の罪で殺されるというのです」 さすがに「斉の雄弁家」と言われたカイトウである。 劉邦はカイトウの言うことにも一理あると思い、「まあ、よかろう。許してやろう」と言って、釈放した。 こういうところが、劉邦の英雄的態度である。ずいぶんと欠点の多い人間であったにもかかわらず、 なお、当時の豪傑たちの間で魅力があったのは、ここなのであろう。