投稿

10月, 2018の投稿を表示しています

新約聖書より

「バステスマのヨハネは…駱駝の毛織衣をまとひ、腰に皮の帯をしめ、蝗と野蜜とを食とせり。」 「イエスは…悪魔に試みられる。「なんぢ若し神の子ならば、命じてこれ等の石をパンと為らしめよ」 答えて言い給ふ。『人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づるすべての言による。』 ↓ ドストエフスキーはパンからの自由を問題にしています。大半の民衆はパンを求めて悪魔についていきます。 キリスト教は少数の者しか救いません。 『狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その道は広く、これより入る者おおし。』 「『悪魔についていくなら…イエスに…もろもろの国と、その栄華を与えよう、と』 イエスは言います。『サタンよ、退け。主なる汝の神を拝し、ただこれにのみつかえ奉るべし。』」 ↓ イエスの天国はこの世のものではありません。地上の権力をつかまないことが大切であると。 「イエスは言います。『色情を懐いて女を見るものは、既に心のうちに姦淫したるなり。』」 ↓ ヨハネの黙示録では、ハルマゲドンについて、女を知らない人たちがバビロニア (性風俗の乱れた、貧富の差の大きい、大都市) との戦いを起こすと書かれています。 「もし右の目なんぢをつまづかせば、えぐり出してすてよ、五体の一つ亡びて、 全身ゲヘナに投げ入られぬを益なり。もし右の手なんぢをつまづかせば、切りすてよ、 五体の一つ亡びて全身ゲヘナにいかぬは益なり。」 ↓ ゲヘナとは、永遠に続く炎の地獄のことです。そこに落ちない為の悔い改めが重要だと。