新約聖書より7
人の子がきたのも…多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。 →殺されるのがわかっていても逃げないイエスは、理性でなく熱情の人でした。 ヘーゲル哲学は、理性を重視しすぎると、否定する神学者もいます。 イエス・キリストは…長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、 殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。 …時に、十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って言った、 「彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか」。 すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。 …その時から、ユダはイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。 …イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。 …ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。 弟子たちもみな同じように言った。しかし弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。 …イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して言った、 「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。 ユダは銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。 →イエスほど魅力があっても、地上の原理ではイエスについていけないらしい。 ただしユダはイエスを裏切ったことを、文字通り、死ぬほど後悔したのですね。