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タバコはいいの?

ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び立つのだ(ヘーゲル)。 ミネルヴァの梟は暁に飛び立つのだ(ニーチェ)「注、この一文は間違いだと後に判明しました。」 ヘーゲルが夕暮れと言ったのは、物事を終わりから認識することが哲学だと考えているからです。 人間は自分が何かをしているときに、偶然の集まりとして、その行為を考えている。 しかし、実は神による必然性のなかに人はいて、その必然性のなかに人はいて、 その必然性を認識することが、哲学だと考えているからです。 それに対してニーチェは終わりからではなく、未知なる出来事を体験することが重要だと考えました。 そのために暁、つまりは物事の始まりが重要だと。 ニーチェはキリスト教と仏教を、同情の宗教として否定しました。 力あるものがただしいのだと。 この発想は、プラトンによる、力よりも正義が重要だという主張にたいして、 ソフィストの反論、正義よりも力が大切だという考えに影響を受けています。 力あるもの、といってもギリシア時代のソフィストとニーチェが全く同じ主張をしているわけではありません。 ニーチェは、強者は少数でしかなく、畜群、一般大衆からの乖離は避けられないと考えています。 強者は視線を水平に保ち、それから下の存在しか見ず、上には視線を上げないのです。 これはキリスト教が神を敬う、つまり見上げることを主張していることに対する反論である可能性もあります。 (強者は対等の存在が現れたら、いやいやながら自分と同じ高みにあると認めるのです。) ヒルティー(眠られぬよるのために)によると、キリスト教徒は悩み、苦しみ、病気を 受けれ入れてもいいのではないかと考えています。 なぜならイエスが無実の十字架にかかって苦しんだからです。 ニーチェは逆にデュオニソスの生命力(アポロンの知性にたいする)を肯定します。 身近なテーマだと、ニーチェはタバコの喫煙は、肺を痛めながら快楽をえるので間違っていると主張します。 自傷だからイエスにつながると。